デイナ・アルマン著
由井寅子日本語版監修
宮本真紀訳
2010年10月1日ホメオパシー出版より刊行予定
Original title :Homeopathic Revolution : Why Famous People and Cultural Heroes Choose Homeopathy
©North Atlantic Books and Homeopathic Educational Services All Rights Reserved. わたしの考えでは、世の人々がホメオパシーの原則を認めるのをためらう原因は無知にある。しかし人の命がかかっている場合の無知は罪である。ホメオパシーの真実を知っている者は、――正直な者であればなおさら――それを認めざるを得ない。選択の余地はないのである。ホメオパシーに正面から向き合うことになったとき、わたしはホメオパシーの信奉者になるよりほかなかった。
正直な人間であり続けたいと願うなら、そうするしかなかったのである……。真実はいかなるときも順守を要求し、別の選択肢を用意してはくれないのだから。
――ジョン・ワイアー卿(Sir John Weir)
四代にわたるイギリス国王をはじめとする六人の君主の侍医を務めた医師
謝辞(略)
序文
本書においてデイナ・アルマン氏は、ホメオパシーを愛用し、ホメオパシーを支持してきた著名人や文化的英雄を驚くほど幅広く紹介し、ホメオパシーの歴史的、地理的な広がりを鮮やかに描き出している。マハトマ・ガンジー、一九九八年のサッカーW杯で優勝に輝いたフランス代表選手、ショパン、シェール、チャールズ・ダーウィン、J・D・ロックフェラー、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、数世代にわたる英国王室一家、過去一五〇余年間に就任した一一人のアメリカ歴代大統領……。これらはほんの一握りである。なんとそうそうたる顔ぶれだろう。だがホメオパシーは金持ちや有名人だけの保護区ではない。ホメオパシーは庶民のあいだでも広く使われ、現在、インドだけでも訓練を受けたホメオパシー療法家が二〇万人以上もいる。
しかし、その人気の高さと恒久性にもかかわらず、ホメオパシーはこれまで折に触れて、科学界や医学界の論争で猛攻にさらされ、現在でもその状況は変わっていない。世界屈指の医学誌『ザ・ランセット』は二〇〇五年、無記名の論説で「ホメオパシーの終焉」を宣告した。これを読んだわたしの頭に浮かんだのは、マーク・トウェイン(彼もまたホメオパシーの愛用者だった)が送った電報の一文――「ワタシノ死亡ガタイソウ大ゲサニ報ジラレテイルヨウダガ」――だった。
もちろん、ホメオパシーの恩恵を受けたとして本書に取り上げられている各界の人物たちが、才能豊かで、知的で、自由な精神の持ち主だからといって、それだけで科学的議論を構成するわけではない。しかし「火のないところに煙は立たない」的な議論としては、説得力がある。ホメオパシーは極度に希釈した薬を使うことから、「効くわけがない」と揶揄される。だが、もしホメオパシーの効き目が本当に気のせいなのだとしたら、多方面で活躍する卓越した人々が、これほど長期にわたってホメオパシーを信奉するものだろうかと考えると、それほどありえないこととは考えにくい。その間にも、ホメオパシーの現実的かつ有益な治療効果を示す根拠や、そのような効果がもたらされる理由を示す科学的解釈は、着実に積み重ねられている。
この話には、暗い過去も影を落としている。アルマン氏も明らかにしているように、二〇世紀初頭、アメリカのホメオパシーは、金や欲の渦のなかで、ほぼ壊滅状態に追い込まれた。ホメオパシーを教える医学校や医学部は全米各地に二二校あったが、一九一〇年に「フレクスナー・レポート」が公表されたのを機に、そのうちの一九校が閉鎖された――しかも、黒人を対象とした七校の医学部のうちの五校、女子の医学部に至っては一校を除いてすべて閉鎖された。その結果残ったのは、人種的にも(白人)、性別的にも(男性)、診療スタイルにおいても(投薬をベースとする治療)均質的な、少数の裕福な医師だった。
だがホメオパシーの立ち直りの早さは驚異的だった。例えば、一九世紀にオーストリア・ハンガリー帝国が課した禁止令からホメオパシーがいかに返り咲いたかについては、アルマン氏が詳述している通りである。また近年、ホメオパシーはアメリカで力強くカムバックを遂げ、一九九〇年から一九九七年にかけて五〇〇パーセント増という驚愕の使用量の伸びを示した。だが歴史は現状を楽観視してはならないことを教えている。二〇世紀初頭にホメオパシーを激減に追いやった勢力は消滅したわけではない。ホメオパシー薬に用いられる極めて低濃度の物質が何らかの効能を及ぼし得ることをおよそ理解できない医学界の多くの人物は、依然としてホメオパシーに懐疑的なまなざしを向けている。だが歴史は別のことも教えてくれている――どんなに立派といわれる教授の意見であっても、後世が見いだす新たな知見への案内役としては、たいして当てにならないことを。
アルマン氏が紹介する多くの偉人がはるか昔から心得ていたことを、ホメオパシーはいつの日か、医療界や科学界にも納得させることになるだろう。ホメオパシーは比類なき可能性を秘めた医術であり科学なのである。
ピーター・フィッシャー
ロイヤル・ロンドン・ホメオパシー病院臨床部長
イギリス国王エリザベス二世の主治医 |
●日本語版監修者まえがき
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日本語版監修者まえがき
後世に名を残す偉業を成し遂げた著名人のなかに、ホメオパシー(同種療法)の考え方に共感や興味を示していた人物がこれほど多くいた事実を知ることは、ホメオパシーの普及を願う者として誇らしく、またそのための活動に邁進するものとして改めて勇気を与えられます。しかし同時に本書には、すでにホメオパシーをよく知って利用している方々がその価値を再認識するためだけの「内向き」の本にとどまってほしくないとも考えています。ホメオパシーのことをまったく知らない、あるいはホメオパシーに効果があるとは信じられないという方々に、ぜひ本書を手に取っていただきたいのです。パラパラとページをめくっていただければ、馴染み深い人名がいくつも目に飛び込んでくることでしょう。本書を通じて広い角度からホメオパシーに触れ、心の片隅にでもホメオパシーへの関心が芽生え、そしていざというときにホメオパシーという選択肢を検討するきっかけとしていただければ、これにまさる喜びはありません。
日本では浸透が比較的遅かったことや、耳慣れないカタカナ用語のせいもあってでしょう、ホメオパシーはとかく目新しい療法という印象をもたれがちです。しかしハーネマンがホメオパシーの体系を構築したのが1800年代の初頭ですから、ホメオパシーにはすでに約200年の歴史があります。その後、19世紀の欧米でホメオパシー療法が大きく開花し、現在までにどのような反動の荒波を乗り越えてきたかは、本書に記されている通りです。多少なりともホメオパシーの知識がある人であれば、どこかで耳にした断片的な情報も含まれていることと思いますが、このような切り口から膨大な情報を収集して本書をまとめ上げた著者アルマン氏のご尽力には、心より敬意を表します。
本書では、文化人、スポーツ選手、財界人、政治家、宗教家など、各時代をリードしてきた人物とホメオパシーとの接点が紹介されています。彼らは医療の専門家ではないかもしれません。しかし彼らは、ひとつの道を極めた人物、多くの人を引きつけた人物、あるいは生涯をかけて真実を追い求めた人物たちです。ただ、名前はよく知られていても、彼らの生活者としての側面にスポットライトが当たることは案外少ないものです。アルマン氏も述べているように、音楽も、芸術も、科学も、自然も、医術も、「高い次元では相互に結びついている」とするなら、さまざまな分野で既存の枠組みに捕らわれず時代を形成した人物の共通項としてホメオパシーが浮かび上がることは、それだけでも注目に値することです。
さて、わが国でも江戸時代以降、ホメオパシーの情報が徐々に入ってくるようになりました。しかしごく最近まで、使用者は海外からの情報ルートをもつごく一部の人に限られていたのが実情です。ただ、本書にも紹介されているように、医学の父ヒポクラテスの格言や聖書の物語などのなかにホメオパシーの原理が読み取れます。同様に日本の伝統的な民間医療のなかにも自然治癒力を誘発する発想が受け継がれてきました。日本最古の書物『古事記』にもホメオパシー的な考え方が紹介されていて、同種療法の思想は日本にも古来より息づいてきたことがわかります。
近年、特に1990年代以降の日本におけるホメオパシー普及の勢いは目覚ましく、世界のホメオパシー界からも熱い視線が注がれています。安価で良質なレメディーの供給体制が整うにつれ、日々寄せられる体験談の数は増え続け、ホメオパシーのない生活は考えられないという人が確実に増えつつあります。その急速な普及ぶりは、ホメオパシーの歴史にまた新たな一ページが刻まれつつあるといっても過言ではなく、その輪は当然、有名人や文化人のあいだにも着実に広がっています。そうした方々の実体験をまとめたいわゆる本書の日本版が世に出る日も遠くないかもしれません。
ホメオパシーを語ろうとすると、常に入口の議論が重要になります。なぜなら、ホメオパシーのメカニズムを理解することは、そもそも病気とは何か、健康とは何か、癒しとは何か、という議論と表裏一体だからです。本書が人物の各論に入る前に、概論にかなりの紙幅を割いているのもこのためです。「症状=病気」ではないことに気づくことがホメオパシーの理解の最初の一歩です。ホメオパシーの目的は症状を抑圧することではなく、本来の治癒力を呼び覚ますことにあります。
自然治癒力を高める手だてとして、ホメオパシーではレメディーを使いますが、ホメオパシーのレメディーと一般の医薬品を隔てる最大かつ根本的な違いは物質の量にあります。化学薬品であれ、天然の薬物(生薬)であれ、また内服薬であれ、外用薬であれ、これまで医薬品は物質ベースで論じるのが大方の「常識」でした。一方、ホメオパシーでは、薬効物質の原子や分子がゼロ、あるいは天文学的な倍率にまで薄められています。ところが不思議なことに、希釈と震盪を繰り返した物質を摂取することで、驚くような治癒効果が得られたことを示す症例が積み上げられているのです。
ホメオパシーを説明するのに「毒をもって毒を制す」という表現が使われることがあります。これは「同種」に基礎を置く療法であるという側面では当たっているかもしれませんが、物質的な側面では当たっていないことがおわかりいただけるでしょう。物質としての毒物は事実上摂取していませんから、からだには負担がかかりません。したがってホメオパシーはきわめて安全性の高い療法なのです。レメディーを摂取することで体内に取り入れているのは、おそらくその物質の情報です。原材料の原子や分子がゼロになったとしても、それが存在していたことを示す痕跡は何らかの形でアルコール水溶液に保存されており、それをわたしたちの生体が認識することができるのだと推測します。そしてその人のなかに類似のパターンが存在すれば共鳴反応が起きて治癒力が活性化されますが、存在しなければレメディーはからだを通り抜けるだけです。一般的に出回っているホメオパシーのレメディーは砂糖粒の形態が主流ですが、砂糖粒は情報の転写媒体にすぎません。
いずれにせよ、ホメオパシーと物質ベースの医薬品とでは、作用のしかたがいかに異なるかが、ご想像いただけるのではないでしょうか。現代医学の発想の枠組みから理解しようとする限り、混乱や誤解を招きやすいのも無理からぬことです。著者は冒頭で地動説を唱えたガリレオを引き合いに出しています。いまとなっては周知の事実でも、当初は突拍子もない考えだと馬鹿にされたり異端視されたりした事例は、過去にいくらでもあります。しかし信じられないといってホメオパシーを切り捨ててしまうには、有力なデータや体験談が多すぎるといっているのが本書であり、またわたしたちの活動を通じた実感でもあるのです。
実体験は、机上の知識がとうてい太刀打ちできない力をもっています。19世紀のアメリカでホメオパシーが草の根的に広がった背景には、ホメオパシーで家族の体調が劇的に改善した体験をきっかけに多くの母親がホメオパシーを真剣に学ぶようになったという事情がありました。同じことが現在の日本でも起きています。しかも、人はホメオパシーの真価に触れたとき、健康観、医療観のみならず、自然観、人生観などの変容を経験することが少なくありません。本書で紹介されている人物の多くが、ホメオパシーを単なる一療法としてではなく、みずからのライフスタイルと重ねあわせて熱く語っているのも、そこに理由の一端があるのでしょう。ホメオパシーの歴史は、時を越え、国境を越え、文化を越え、宗教を越えて、ホメオパシーの効果に感銘を受けた有名無名の人々の歴史でもあります。
本書ではまた、異なる医療のあいだの対立や足の引っぱり合いの歴史も浮き彫りにされています。科学や医学は発展途上です。当然ながらホメオパシーも発展途上にあります。それぞれの療法の有用性を高めてゆくことに力が注がれ、人々の心身の健康を願う純粋な思いを原動力に、それぞれの得手不得手を踏まえた役割分担というスマートな観点から、垣根を越えた協力関係が進むことを心から願っています。
2010年8月20日 ホメオパシー博士 由井寅子
●序章
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序章
ガリレオ・ガリレイは、天文学の父、物理学の父、ときには科学の父とさえ称される人物である。ローマ教会は、ガリレオが果たしてきた多大な貢献にもかかわらず、彼の考えを異端とみなし、自説を撤回するよう強く要請した。そんな教会当局に対してガリレオは、われわれが暮らす太陽系の中心は地球でなく太陽だとする自説の正しさを確かめさせるために、とにかく自分が作った望遠鏡で観測してほしいと訴えた。しかし教会当局は、望遠鏡をのぞこうとすらしなかった。
ガリレオは投獄されるが、のちに判決は減刑され、彼は自宅軟禁の身で残りの生涯を過ごした。ガリレオの研究内容を出版することは、過去のもの、将来のものを問わず、公に禁止された。しかし、われわれにとって幸いなことに、この検閲は徹底されなかった。
ローマ教会がガリレオの望遠鏡をのぞくのを拒んだのと同様に、多くの医師がホメオパシー薬を試すことを拒んできた。彼らはホメオパシー薬など効くわけがないと言い、ホメオパスやその患者たちは惑わされているのだと決めつけた。
驚いたことに、従来の医師や医療機関は、ほとんどがホメオパシーに対して非科学的な態度を固持し、ホメオパシーを真摯に受け止めることも、ホメオパシー薬をテストした何百件もの臨床研究に目を通すことも、生物活性を検証した何百件もの基礎科学研究を再検討することもせず、ましてや、身をもってホメオパシー薬を摂ったり処方したりすることはほとんどなかった。一九世紀の欧米では、医師がホメオパシー医に助言を求めただけで医療団体からとがめを受けたほどだった。科学を擁護する姿勢を引き継ぐべき立場にある医師たちが、誤った情報に基づいてホメオパシーに敵対的な態度をとり続けてきたことは、皮肉である。「競争は軽蔑のもと」という古いことわざがあるが、従来の医師がホメオパシーに対して抱いている軽蔑心を言い表しているように思えてならない。
しかしながら、従来型医療に従事する多くの医師からの懐疑論や、二〇〇年にわたる医療機関からの激しい攻撃にも屈せず、ホメオパシーは生き永らえてきた。今日では、ヨーロッパ、インド、南米の各地で、ホメオパシーが盛んに用いられている。
ホメオパシーが生き延びたのは、何百万もの人々がホメオパシーから実益を得てきたからにほかならない。誰にでもよくあるような軽度の体調不調から、慢性症状、命にかかわる病気に至るまで、ホメオパシー薬は、社会の各方面で活躍する数多くの著名人や文化的偉人たちに利用されてきた。もっとも、本書に取り上げた文化的偉人たちがホメオパシー薬を使っていたといっても、必ずしも彼らがこれらの自然薬だけしか使わなかったという意味ではない。だが、特に太字で紹介している人物の大半は、ホメオパシー治療を第一の手段として頼りにしていた。
「何よりも害をなすなかれ(First, do no harm)」とは医学の父ヒポクラテスが残した最も有名な格言だが、この言葉に照らすと、リスクが高く危険も伴う従来の医療手段をとる前に、より安全性の高い治療法を利用したという点で、本書が取り上げた人物たちは賢かった。そのような意味でも、ホメオパシーは「最初に摂る薬」と呼ぶにふさわしいのである。
誤解を招かないためにあらかじめ断っておく必要があるが、懐疑論者の多くは、ホメオパシーを支持する人間は従来型医療に敵対的であるという誤った決めつけをしがちである。物事を過度に単純化することは、「白か黒か」的な、偏った態度を生み出してしまうものである。ホメオパシーの賛同者は従来型医療に手厳しい批判の矛先を向けることもあるが、だからといって、一時的に苦痛を緩和して患者を楽にするために抗生物質、鎮痛剤、手術、その他の投薬治療を適切に利用することにまで反対しているわけではない。
投薬治療で症状を緩和・除去できることは、科学的な医学によって実証できるかもしれない。しかし教養ある人の多くは、症状の緩和と、本当の意味での病気の治癒は、まったくの別物であることを知っている。実際、多くの症状は実は身体の重要な防衛機能の表れであるという、ホメオパシーや自然療法が長く唱え続けてきた仮説は、現代の生理学で支持されている。したがって、いくら「科学的な医学」が症状の緩和や治癒をもたらしていると自負しようとも、その恩恵が時の試練に耐えることはほとんどないと言ってよい。現在使われている処方薬のなかで、その有用性が三〇年以上にわたって証明され続けているものはほぼ皆無で、まして二〇〇年には遠く及ばない。さらに過去の事実や臨床上の経験からは、薬の長期的効果は想像以上に少なく、逆に副作用は想像以上に多いことが、時が経つにつれ明らかになりつつある。
本書は、文化的偉人たちがホメオパシー治療を選択したことにかかわるエピソードを詳しく紹介している。過去何十年間のさまざまな病気や症状の治療の実例を知ることで、治療の有効性を検証するうえで貴重な広い視野が培われるだろう。本章で太字で紹介した人物は、それぞれが活躍した分野の章でさらに詳述する。
例えば、博物学者で科学者であったチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)だが、彼が『種の起源』を出版する約一〇年前にホメオパシー治療を受けていなければ、後世に多大な影響を与えることになるその著書はおそらく書き上げられていなかったであろう。胃の痛み、嘔吐、ひどい腫れ物、動悸、震えなどの症状にたびたび襲われていた彼は、仕事もろくに手につかないような日々が一二年も続いていた。その後はさらに、失神の発作に見舞われたり、視界に斑点が見えたりする症状が二年ほど続いた。ところが、ホメオパスであるジェームズ・ガリー医師の治療をわずか六週間受けただけで、それらの症状が劇的に改善したのである。
ほとんど知られていないが、ダーウィンはホメオパシーの少量投与にインスピレーションを受けたことが一因で、植物にごく微量の物質を使う実験を行い、その目を見張るような効果に気がついていた。実のところ彼は、その知見を公表するのがバツが悪く、また主流派の科学者たちがホメオパシーに対して相当に感情的かつ敵対的な態度を示していたことも背景にあって、「ホメオパシー的用量」という言葉を使うことを避けていた。
ダーウィンがホメオパシー医やホメオパシー治療を大いに称賛していたことは、彼が残した書簡類から確認できるが、そのような事実は、医学や科学の歴史から呆れるほどに葬り去れてきた(Darwin, 1903)。このような切り捨て行為は、支配的な世界観に適合しないものや、それらの裏付けとならないものが、いかに歴史から抜け落ちやすいかをあらためて教えてくれる好例である。
過去二〇〇年間の最も高名な医師たちのなかには、ホメオパシーに対する興味や好意的評価を表明している人物がたくさんいる。オースラー(William Osler)、ベーリング(Emil Adolph von Behring)、ビール(August Bier)、メニンガー(Charles Frederick Menninger)、クノップ(C. Everett Knop)らがそうである。
ロックフェラー(J. D. Rockefeller)やケタリング(Charles Kettering)といった大企業のリーダーたちも、成人後は一貫してホメオパシーのケアを受けており、ホメオパシーを評価していた。ホメオパシーを「積極的で進歩的な医療手段」と形容していたロックフェラーは、九七歳まで生きた(九三歳で亡くなった彼のホメオパスよりも長生きしている)。一方のケタリングは、アメリカの二社の大手企業(ナショナル・キャッシュ・レジスター社とゼネラル・モーターズ社)に、ホメオパシー医によるケアが受けられる従業員用クリニックを開設するように働きかけている。彼本人も、ホメオパシー医であるマッキャン(T. A. McCann)医師のケアを頼りにしていた。
そのケタリングの協力のもと、オハイオ州立大学は一九一四年にホメオパシー医学を教える学部を設けた。一九二〇年、そのホメオパシー医学部に研究所を設置すべく、ケタリングは一〇〇万ドルを寄付している。しかしまもなくして、米国医師会の代表が学長に学部の閉鎖を強く働きかけ、ホメオパシー医学を教えれば医学認定の?奪もありうると警告した(Roberts、1986)。その会談の直後、大学側はケタリングに寄付金を全額返却し、ホメオパシー医学部を閉鎖している。
把握しているだけでも、一一人のアメリカ大統領、二人のイギリス首相、その他、世界各地の歴代の国家元首がホメオパシー医療を利用ないし支持していた。ブーン(Joel T. Boone)は、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーの三代にわたるアメリカ大統領のホメオパシー医を務めた医師である。大統領の治療にこれほど長期間従事した医師は、アメリカ史上、彼の他に例がない。
また、人権活動や、植民地支配からの解放運動を指揮した主導者からも、ホメオパシーは古くから多大な支持を得てきた。マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)をはじめとするインドのイギリスからの独立運動指導者たちも、その多くがホメオパシーを擁護した。南米の数カ国で独立運動を指揮したサン・マルティン(Jose de San Martin)もまたしかりであった。ガリソン(William Lloyd Garrison)、ウェブスター(Daniel Webster)、ビーチャー(Henry Ward Beecher)ら、奴隷制に反対を唱えた人物のなかにも、ホメオパシーの擁護に負けず劣らず情熱を注いだ者が数多くいる。また、アンソニー(Suzan B. Anthony)、スタントン(Elizabeth Cady Stanton)、モット(Lucretia Mott)ら、アメリカの女性解放運動の初期の指導者の大半も、公共の福祉に必要な社会変革の一環として、ホメオパシー医療は不可欠とする立場だった。
一九世紀から二〇世紀にかけて活躍した一流芸術家のなかにも、ホメオパシーの価値を理解していた人物は数えきれないほどいる。印象派の画家ピサロ(Camille Pissaro)は、ゴッホ(Vincent van Gogh)、モネ(Claude Monet)、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)、ドガ(Edgar Degas)といった彼の友人や芸術家仲間が、ホメオパシー治療を望んでいると言っていた。ホメオパスを受診しない友人には、ピサロ自身がホメオパシー療法を施していた。
一九世紀の天才音楽家であるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、パガニーニ(Nicolo Paganini)、ショパン(Frederic Chopin)、ワーグナー(Richard Wagner)らもまた、ホメオパシー薬に関心を寄せていた。この流れは、ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)、ティナ・ターナー(Tina Turner)、シェール(Cher)、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)、ジョージ・ハリソン(George Harrison)ら、大勢の現代ミュージック界の大物たちに継承されている。ベートーヴェンはかかりつけのホメオパシー医に二曲のカノンを捧げているし、ティナ・ターナーはホメオパシーの助けを借りて結核を克服したことを告白している。
舞台や初期の銀幕でトップ女優として活躍したサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)はホメオパシーをこよなく愛し、彼女自身が利用するのみならず、作品に出演するたびに共演のキャストにホメオパシー治療を熱心に勧めていた。近年では、女優のキャサリン・ゼタ = ジョーンズ(Catherine Zeta-Jones)が、歌とダンスのミュージカル映画『シカゴ』の撮影中に、過酷な練習による捻挫や筋違いの手当てにホメオパシーのアーニカ(Arnica)を使っており、これが目下の「お気に入り」だと自慢げに語っている。
ホメオパシーの人気は宗教指導者のあいだでも高まり、七人のローマ法王、多数の司教、その他の指導的立場にある聖職者たちが、特別な医療を提供するホメオパシー医に敬意を払い、なかには自分自身がホメオパスになった聖職者も少なくない。クリスチャン・サイエンス[ 訳注:一八六六年にマサチューセッツ州ボストンに創立されたキリスト教の一派 ]の創始者であるメアリー・ベイカー・エディ(Mary Baker Eddy)でさえ、ホメオパシーの講習を受け、日頃からホメオパシー薬を処方していた。実は、ロシア正教会などの固い団体も、ホメオパシー薬の処方法の学習を聖職者に奨励していた。なぜなら、ホメオパシーのような療法は、本当の意味での健康効果をもたらすだけでなく、入信者の増加にもつながったからである。ユダヤ教のラビや、イスラム教の聖職者のなかにも、ホメオパシー治療を望む者や、治療法を学ぶ者が多数いた。
一九世紀の文豪のあいだでもホメオパシーは大変な人気で、文学のテーマはさまざまであっても、ホメオパシー薬を使い、ホメオパシーを評価していたことは、彼らの共通項だった。ソロー(Thoreau)、エマソン(Emerson)、ロングフェロー(Longfellow)、ストウ(Stowe)、ジェームズ(James)、オルコット(Alcott)、ホーソーン(Hawthorne)、アーヴィング(Irving)、トウェイン(Twain)、ゲーテ(Goethe)、ドストエフスキー(Dostoevsky)、ドイル(Doyle)、ショー(Shaw)、ディケンズ(Dickens)、テニスン(Tennyson)は全員、ホメオパシーの擁護者だった。
アスリートたちは、すべてのレベルにおいて並外れた競争力が求められるが、怪我はキャリアに重大な影響を及ぼしかねないことから、多くのスーパースターがホメオパシー薬を活用してきた。ベッカム(David Beckham)、ナブラチロワ(Martina Navratilova)、ベッカー(Boris Becker)、オラサバル(Jose Maria Olazabal)、そして十数名のオリンピック・メダリストたちが、ホメオパシーを公然と高く評価している。アスリートが世界トップクラスの身体能力を鍛錬し維持する方法について秘密を明かすのは、本来は異例であるはずだが、実はホメオパシー薬を愛用しているとカミングアウトするスポーツ選手がこのところ目立つようになった。
国王や女王は、望めばどんな医療も受けられるはずだが、過去二〇〇年間でホメオパシーが実に多くの君主から第一の治療手段として選ばれていることには驚かされる。ホメオパシーをよく知らない懐疑論者のなかには、ホメオパシーを一種の「ニューエイジ」のように話す人もいるが、ホメオパシーが君主たちの幅広い支持を集めてきた事実からは、ホメオパシーが「昔ながら」の療法であり、実績も豊富であることがうかがえる。
このように見てくると、大多数の人がそれぞれの時代の標準的医療を利用してきた一方で、ホメオパシー薬は、健康維持に不可欠なものとして、社会の卓越した人物たちに一貫して求められ、使われてきたことがわかる。
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従来型医学の真の限界
従来型の医学に固執する人は、その方法が科学的に検証されているとかたくなに主張し、治療上の効果があるらしいとされる他の療法を見下してきた。従来型医療に従事する医師は常に競争相手の否定に努め、医療業界の従来の治療法に疑問を投げかけたり、代替療法を行ったりする者を悪意をもって攻撃することさえあった。
しかし何ともおかしな話だが、従来の医学では、ある一〇年間に流行したものは、次の一〇年には効果がないどころか危険だとすらいわれ、ときには野蛮とさえ言われてきた。歴史上このパターンが繰り返されているにもかかわらず、不思議なことに「科学的な医学」の支持者や擁護者は、謙虚さが足りないようで、真に効果的なのは現在の治療法だという主張を繰り返す。
従来の医学の良い点であり、尊敬に値する特筆すべき特徴の一つは、常にみずからの誤りを繰り返し証明してきたことである。従来の医薬品には、三〇年以上使われ続けているものがほんの一握りしかないという事実は、従来の医学はみずからの誤りを認識できないほど恥知らずでないということの確固たる証拠である。
医学史を振り返ると、投薬治療の発見とその活用法には明白なパターンがあることがわかる。新薬が発見されると、最初は大変な興奮が巻き起こる。そして研究を通じて安全性や効能が証明されると、人を楽にしてくれる薬として広く一般に重宝されるようになる。しかし時が経つにつれ、その薬の副作用について多少の懸念が指摘され始め、研究や臨床例の蓄積に伴い、一層深刻な副作用が明らかになってくる。そして、さらに多くの研究や臨床経験を重ねるうちに、その薬は本当に安全で効果があるのだろうかという疑念が高まり、ついには、その薬は以前考えられていたほどの効き目はないというのが一般認識となり、確認された深刻な副作用の項目がどんどん増えていく……という流れである。しかしこうした問題も、大問題に発展することはまずない。というのも、そうこうするうちに次の新薬が登場し、短期間の研究しか行われていないのに、やはりこちらの薬のほうが優れているということになるからだ。しかしそれも、新たな研究によって、その薬も当初の予想ほどには効果も安全性も高くなかったことが確認されるまでのことである。このようなサイクルが、一世紀かそれ以上、延々と繰り返されてきた。
まるで定期的に流行が変わるファッション業界のように、製薬業界も、昔からある薬ではなく、最新の薬から利益を得ている――それも、ちょっとやそっとの利益でなく、胸の悪くなるような莫大な利益だ。
「フォーチュン500」[ 訳注:アメリカの雑誌『フォーチュン』が総収入を元に発表する世界の企業のランキング ]にランクインした世界の大手製薬会社一〇社の二〇〇二年の収益を合計すると三五〇億ドルにのぼり、残りの四九〇社の収益の合計を上回っている(Angell, 2004, p.11)。(1)この一〇社の製薬会社が、衝撃的とも言える利益をキープできなかった唯一の理由は、イラク戦争の開戦に伴って石油会社の利益が大幅に増加したことで、製薬会社以外の四九〇社の収益の合計がわずかに上回ったためである。しかし普通の人は、一業界の、たった一〇社の利益に比べれば、世界の大手四九〇社の利益の合計のほうがはるかに多いに違いないと考えるのではないだろうか。
この経済面の情報は重要であり、本質論であるとすら言える。なぜなら、医療の「科学」を、いかにして医療ビジネスと切り離すかという問題が、現在ほど難しい時代はなかったからである。「医療業界連合」とでも呼ぶべき製薬会社と医療専門家のあいだの足並みそろった努力は、世界各国の消費者を納得させるのに抜群の効果を発揮し、それによって現代医学はかつて存在したことがないほど最も科学的な教義となった。ホメオパシーを論じる以前に、何が「科学的」な医療で、何がそうでないかという根本な問題提起は、必要とまでは言わないまでも、意義深いであろう。
今日では医者が製薬会社を経営することはまずない。では誰が経営するかというと、実業家である。このことからも、ハーバード大学教授で、有名な『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』の元編集者でもあるマーシャ・エンジェル医学博士が次のように述べるのも意外ではない。
製薬業界はここ二〇年で、人の役に立つ新薬を発見して製造するという本来の崇高な目的から、はるかに遠ざかってしまった。……いまやこの業界は、人のためになるのかどうか疑わしい薬を売り込むためのマーケティング・マシンと化し、アメリカ連邦議会、FDA(食品医薬品局)、大学の医療センター、さらには医師界そのものまでが、邪魔になる可能性があるあらゆる団体を吸収するために富と力を注ぎ込んでいる。(Levi, 2006)
薬の販売では途方もない額の金がもうかるが、われわれの多くは、巧みなマーケティング戦略によって、薬のこのような「景気の良い」側面から目をそらされたり、やむを得ないことだと思ってしまいがちである。
こういうことだ。ゴリラが家の中にいるのに、ゴリラがいると言おうものなら、ほら吹きか変人呼ばわりされてしまう。このゴリラは昨日や今日生まれたわけではなく、何世代にもわたってここで成長を続けている。このゴリラは、相手側が協力を求めようと求めまいと、競合する勢力を排除しようとする自己防衛本能をもっている。いかなる競合勢力も、繰り返し徹底的に攻撃を受ける。ホメオパシーの歴史は、 医学のこのような一面を明らかにしている。というのも、米国医師会は一八六〇年から二〇世紀初頭にかけて、その倫理規定に、会員はホメオパシー診療を行う医師に相談してはならず、ホメオパスを受診している患者を治療することも許されない、という条項を設けていた。医療史上、医師が瀉血によって患者を死亡させたり、水銀などの腐食剤が患者に日常的に処方されていたような時代に、米国医師会にとって、とがめるべき行為で、起訴に値した唯一の行為は、ホメオパスを受診するという「罪」だったのである。
事実、一八八一年にニューヨーク州の医療機関が、学問上の資格の種類を問わず、ホメオパシー医療を利用する医師にも会員資格を認めたことがきっかけで、ニューヨーク州医師会は米国医師会から丸ごと締め出されてしまった。ニューヨーク州医師会がようやく米国医師会に復帰できたのは、二五年も経ってからのことである(Walsh, 1907, p.207)。
しかしこのゴリラは、誰にとっても怪物であるわけではない。実のところ、この巨大ゴリラは、組織の重役や、販売やマーケティングの巨大勢力、協力的な政治家、そしておびただしい量の広告の購入先であるメディア(ひいては大量の好意的なマスコミ報道)に対しては、驚くほど気前が良い。株主にも素晴らしく太っ腹である。
金もうけをとがめるのは適当でないと思われるかもしれない。だが、利益が信じられないほど度が過ぎていたり、薬の長期的効果がしっかり時間をかけて証明されていなかったり、二種類以上の薬を当たり前のように一緒に摂ることの影響がほとんど科学的に吟味されていないような状況においては、非難することも重要であり、当然のことである。
このような見解を辛辣で攻撃的に感じる人もいるかもしれないが、ほとんどの人の周りには、従来型の治療によって命を取り留めたとか、少なくとも健康が大幅に回復したとかいう知人がいるであろうという認識を念頭にこれを述べている。何を隠そう、著者自身の素晴らしい父親も、医師であり、またインスリンに頼る糖尿病患者でもある。言い換えれば、インスリンなどの従来の医学のありがたい発見がなかったら、わたしはたぶんいまここにいないのである。
だがわれわれは、「たらいの水と一緒に赤ん坊まで捨てて」はならないし、まただからといって、赤ん坊を浸からせるたらいの水を無視するわけでもない。大概の人には、現代医療によってひどい目に遭ったり、寿命を縮めたりした知人もまたいるのだ。
製薬会社は、研究開発に巨額を注ぎ込んでいるとして、莫大な利益を守ろうとしているが、研究開発費の約三倍もの金額をマーケティングや経営に使っているという事実は隠したがる傾向がある。しかも、常識外れとも思える製薬会社の高い収益は、わかっている範囲の全経費を計算に入れたうえでのものである。こうして見ると、製薬会社は、彼らが作る薬を使った治療が「科学的」であると納得させるために、ありとあらゆる知恵や工夫を凝らしており、また、実際にそう信じ込んでいる人があまりにも多いのが現状だ。
となると、製薬会社やメディアが、ある薬が「科学的に実証されている」と断定するとき、実際、どういう意味でそう言っているのかを理解しておくことが肝要である。
現代医学はどの程度科学的か
かつて、西洋文明についてどう考えるかと記者から質問されたマハトマ・ガンジーは、彼の非暴力運動に対してイギリス政府がとった非文明的な対応を踏まえ、こう即答した。「西洋文明? ああ、いい考えだね」。もし同じように「科学的医療」についてどう考えるか尋ねられたら、彼はおそらく似たような答え方をしていたであろう。
科学的医療という発想は素晴らしいものだが、果たして現代医学は、本当に――あるいは十分に――「科学的」と言えるだろうか。
現代医学では、治療効果を測定するための黄金律としてプラシーボ比較二重盲検試験法が用いられている。
(2)この科学的手法は、表面的には大変理にかなったものである。だが、このような研究には重大な問題も潜んでいて、研究者のあいだではそれが広く認識されているものの、一般人にはまだまだ知られていない。「効果」という言葉の意味について根本的な疑問が提起されることは、ないとまでは言わないが、めったにない。
例えば、ある薬が特定の症状を取り除いてくれるようだからといって、それだけで「効果がある」薬ということにはならない。実際、特定の症状が消えるということは良くない場合もある。アスピリンは熱を下げてくれるかもしれないが、熱は感染症と闘う身体の重要な防御機能であることを、生理学者は認めている。鎮痛薬は激しい痛みをたちどころに消してくれるかもしれないが、不快症状の奥に潜む原因には作用せず、その人を本当に治癒するどころか、身体的・精神的な依存症に陥らせたり、薬に耐性を生じたり、心臓病のリスクが高まることさえある。催眠薬を飲めば眠りに落ちるかもしれないが、すっきりと爽快な気分で目が覚めるような睡眠ではなく、ひどい場合には、不眠と疲労のサイクルを一段と悪化させる傾向すらある。一般的な病気に使われる現代薬の長期的な安全性と効果については、医学界もわれわれも、確実性が増すことを強く望み、誠実な期待を寄せているのに、どうしても不安は払拭されていない。
科学的研究についての事実の核心は、効果があるように見せかける調査結果を、科学者がお膳立てすることが可能だという点にある。つまり、薬は非常に限られた期間は効果があっても、後になって種々の深刻な症状が出てくることがあるのである。例えば、ザナックスというよく知られた抗不安薬があるが、二カ月間の実験中はパニックアタックを軽減することが明らかにされているものの、患者が服用量を減らしたり服用を止めたりすると、パニックアタックが三〇〇?四〇〇パーセントも増加する場合がある(Consumer Reports, 1993)。もし患者がこの事実を知っていたら、そしてどのような基準でこの薬が「効果がある」とされていたのか知っていたら、同じくらいの数の人間がこの薬を服用していただろうか。
FDAから薬を市場に流通させるための認可を得るための精神疾患の調査は、ほとんどの場合、六週間しか行われていない(Angell, 2004, p.112)。抗うつ薬や抗不安薬は、ほとんどの人が何年も服用ことを考慮すると、このような短期間の調査が科学的に見て有効だと考える人間がいるだろうか。あまりにも知られていないので愕然としてしまう事実だが、本当の薬の八〇パーセントの効果がプラシーボ[ 訳注:偽薬 ]によっても得られたことが、これまでの調査でわかっている(しかも副作用が少ない)。
(Angell, 2004, p.113)
『ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実(The Truth about Drug Companies)』という影響力のある本の著者であるマーシャ・エンジェル医学博士は、このような現実を、簡潔かつ単刀直入に言い表している。「臨床試験は不正に操作することが可能で、しかもそれは日常茶飯事である」
(Angell, 2004, p.95)
現在使用されている標準的な薬は、長期間の研究をほとんど経ていない新しい薬である。ほんの数十年前まで使われていた現代薬の大部分がもはや処方されていないのには、それなりに理由がある――以前に考えられていたほど効き目がない、効果よりも害のほうが大きい、そのいずれかまたは両方である。
現在の医療モデルは何かが根本的に間違っているという現実を、医師たちは見つめようとしない。悲しいことであり、奇妙でもある。それどころか、いったん古い薬が効かないとか危険だと判明した場合、医師と製薬会社はどうするかというと、新しい薬の効能が「科学的に実証された」と断言するだけである。このパターンが繰り返されているにもかかわらず、医者が処方する医薬品の量は空前の伸びを示している。
?二〇〇五年だけで、アメリカ国内で販売された処方薬は、すべての成人から子どもまで含め、一人当たり一二・三■に相当する(一九九四年におけるアメリカ人一人当たりの処方薬の平均年間購入量は七・九■だった)。(Kaiser Family Foundation, 2006)(単位確認中)
?二〇〇五年の調査によると、アメリカの総人口の四四パーセントが少なくとも一■の処方薬を摂っていて、一七パーセントは三■以上摂っている(この数字は、一九九四年から二〇〇〇年のあいだに四〇パーセントも伸びている)。(Madscape, 2005)
ここに挙げただけでも十分に高い数値だが、医師の勧めや自分の判断で購入した市販薬も加えれば、さらにぐんと増えるだろう。二種類以上の薬を一緒に摂ると、それぞれの薬に対して個別に行われた研究は、事実上、無意味となる。どれだけ多くの人が二種類以上の薬を一緒に摂っているかを考えると、医者が拠って立つ科学的根拠には大きな疑問がわく(エイズ患者の治療に使われる一部の薬のように、多剤併用プロトコルがテストされているわずかな例は除く)。
アメリカ国民のなかには、現代医学における最高レベルの、しかも当然最も高額な医療を享受できるものと期待している人がいるかもしれない。しかし現実はまったくそうではない。以下の統計は、いわゆる「最高」の医療が提供できるものの真の限界をまざまざと見せつけている。
?二〇〇六年のデータによれば、アメリカの幼児死亡率は世界で二一番目に高い。韓国やギリシアよりも悪く、ポーランドよりいくらかましな程度である。
?同じ二〇〇六年のデータによると、アメリカの平均寿命は世界一七位である。これはキプロスと同位で、アルバニアを少し上回る程度である。(InfoPlease, 2007)
グラクソスミスクライン社は、世界最大手の製薬会社の一つである。それだけに、遺伝学担当の副社長であるアレン・ローゼズ氏が、「ほとんどの医薬品(九割以上)は、三〜五割の人にしか効かない」と認めたのは、驚きとまでは言わないが、いささかショッキングであった(Connor, 2003)。一般市民に本当のことがこれほど正直に伝えられることは珍しいことである。
歴史を理解し、書き換える
過去をコントロールする者は、未来をもコントロールする
現在をコントロールする者は、過去をもコントロールする
――ジョージ・オーウェル(小説『1984年』の著者)
歴史をひもとくと、人類の過去に関する実にさまざまな事実がわかるが、結局のところ、歴史書に記されているのは、歴史のごく一部分にすぎない。過去を解釈したり、特定の事実や数字を選び出して使うことで、現実に起こったことへの理解は歪曲される。
歴史家がよく言うことだが、どの国が戦争に勝とうとも、あるいはどの世界観が優位に立とうとも、勝利国や、優勢な世界観の視点から、歴史は語られるものだ。もちろん同じことは医学の歴史にも当てはまる。例えば医学史家は、昔の伝統的な医療習慣を、野蛮で危険で古くさいもののように語る一方で、現在の医療は「科学的医学」の極致のように言う。今日の医療が「実証されている」というセリフは、何度も繰り返される念仏のようだ。
また歴史は、戦争の敗者や、少数派の見解を代弁する者を、優れた長所をもつ者としては決して描かない。例えば、オーソドックスな医療行為と異なる医療を実践する医師は、奇人、変人、やぶ医者などと呼ばれかねない。このような中傷は、貴重な貢献を果たす可能性を矮小化するには(そこにどのような貢献の可能性が秘められているかを理解していようがいまいが)、とても賢いやり方だ。
また、中傷ではないにしても、標準的で支配的なパラダイムに属する医者は、少数派が確固たる信念をもって精力的に診療に取り組む姿をとらえて、いかにも奇妙で風変わりであるかように見えるように、しばしば事実をねじ曲げる。
ホメオパスが、オーソドックスな医療に比べてごく微量の投薬しか行わない事実をもって、そのような「弱腰な」投与量では理論上は何の生理的効果も及ぼさない、と指摘されることがある。ホメオパシー医療には到底効果が望めないとする非難が、知識も経験も謙虚さもないままに浴びせられる。だがそれは、非難する側の姿勢がいかに非科学的であり、特定の状況において特定の物質を超微量投与した場合の効果を調べた一連の基礎的な科学的研究についていかに無知であるかをさらけ出しているだけである。
二〇〇年以上も前から存在する薬をホメオパスが使い続けているという事実をもって、ホメオパシーの医学体系が「進歩していない」ことの根拠にされることがある。別の解釈をすれば、二〇〇年前に使われていた薬が、何百もの新しいホメオパシー薬と並んで現在も依然として使われているのは、基本的に昔のホメオパシー薬がいまでも効くからである。ホメオパシー薬を使いこなすということは、限局的な病気に対してではなく、その限局的な病気が一部を成す症候群あるいは症状のパターンに対して処方されるという意味でも、優れた技術なのである。
ホメオパスは、患者の特有の症状を調べるために面談を行う。だがその事実をもって、ホメオパシーが、患者に関する事実をむやみやたらに聞き出して楽しむ風変わりなシステムであるとする根拠に使われることがある。だが、詳しい症状や患者の特徴を尋ねるホメオパスの質問を無意味に感じる人は、そこから各患者の個別化を図るうえで決定的となる特異な気質や体質が読み取れるという発想になじみのない人だけである。ホメオパシーは、最も有効なホメオパシー薬を選択して処方するために患者の特徴を活用する高度なシステムを有しているのである。
歴史は、得てして勝者の手によって書かれるものだ。それを踏まえるなら、もうじき歴史は書き換えられることになるだろうと筆者は予測している。
●第一章
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ホメオパシーはなぜ理にかなっていて、効果があるのか
ホメオパシーはなぜ理にかなっていて、効果があるのか
――ナノ薬理学の本領
ホメオパシーは世界各地でかなりの人気を得ているが、一般的には、まだ誤解や批判を受けることがあるし、単純に知らないという人もまだまだいる。
本書には、ホメオパシー医療によって大きな恩恵を受けた人の個人的体験が盛り込まれているが、そのなかのどれか一つだけでホメオパシーの価値を本当に「証明」できるものはない。だが、広範囲にわたる体験が検証され、科学的研究を通じてホメオパシー薬を利用することの価値を裏付けるものがさらに出てくれば、ホメオパシーがこれまでに果たしてきた重要な役割や、将来の医療において果たすであろう役割について、より納得してもらえる可能性があるし、またそうなってしかるべきである。
かつてウィンストン・チャーチルは、「過去を遠くまで振り返ることができれば、その分だけ未来も遠くまで見越すことができる」と言った。本書は、主として過去二〇〇年間に生きた人々の体験を取り上げるが、ホメオパシーの原理が活用されてきたことを示す証拠は、人類の有史初期から豊富に存在している。このような長期的視座は、歴史を理解し、未来を予測するための視野の広いレンズを与えてくれる。
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ホメオパシーを理解する
「ホメオパシー(homeopathy)」という語は、ギリシア語の二つの単語に由来している。「類似の」という意味の「homoios」と、「苦しみ」という意味の「pathos」である。ホメオパシーの基本的な前提を成す「類似の原則」は、これまでに繰り返し観察されてきた記録や経験則を表現したものである。それは、ある物質を健康な人に過剰に投与することによって生じるいかなる症候群も、同じ物質を特別に調製した超微量投与(ナノドース)の形態で類似の症候群を示す病気にかかっている人に投与すると、治癒反応を引き起こすという法則である。
具体例を挙げてみよう。誰でも知っているように、タマネギの汁にさらされると、涙や鼻水が出たり、上唇までヒリヒリすることまである。アレルギーや一般的な風邪の症状として、タマネギが引き起こすこのような症状が起きている人は、タマネギをホメオパシー的用量で摂るとメリットがあるだろう。
症状とは、感染症やストレスから身を守ろうとする身体の最大限の努力であるため、症状は抑制・抑圧するのではなく、むしろこのような防御プロセスの模倣を促進する薬を利用するほうが、筋が通っている。ホメオパシーの類似の原則の美しいところは、それ自体に体の知恵に対する敬意が内在していて、それによって身体に備わる顕著な自己治癒力や自己調整力を有効活用し、最適な状態に導こうとする点にある。
現代医学のワクチン接種とアレルギー治療は、特定の病気の予防や治療において、現実に体自体の防御反応を活性化させようとする数少ない応用例のうちの二つであるということを特筆しておくことが重要である。この二つの治療法が、どちらもホメオパシーの類似の原則から派生していることは単なる偶然の一致ではない。
ヨーロッパでは、ホメオパシー医療は医師たちによって非常に広く実践されているので、もはや「代替療法」とは位置づけられていない。フランスでは医師の約三割、ドイツでは約二割が日頃からホメオパシー薬を使用し、イギリスでは四割以上の医師が患者をホメオパシー医に紹介することがある(Fisher and Ward, 1994)。またドイツの医師の約半数が、ホメオパシー薬は有効だと考えている(Kleijnen, Knipschild, and Reit, 1991)。
アメリカの医療界においても、かつてはホメオパシー医学の存在は大きかった。二〇世紀のはじめには、ボストン大学、ミシガン大学、ニューヨーク医科大学、オハイオ州立大学、ハーネマン医科大学、ミネソタ大学、アイオワ大学など、ホメオパシーの医学部は全米に二二カ所もあった。さらにホメオパシーは、アメリカの多数の文化的エリートから非常に強力な支援を受けていた。
ポール・スターは、ピュリッツァー賞受賞作である『アメリカ医療の社会的変容(The Social Transformation of American Medicine)』に、次のように書いている。「ホメオパシーは、哲学的であると同時に実験的でもあったので、多くの人々は、オーソドックスな医療に比べて非科学的というより、むしろ科学的な印象を抱いていた」
本章では、科学と医学の最新の知見に照らしながら、ホメオパシーの論拠を提示する。ホメオパシーに関する科学的実験についてもっと知りたいという知的好奇心の旺盛な読者には、本章の参考文献に掲げた出版物も参考になるだろう。
ホメオパシーに対してオープンな心をもちながらも、このホメオパシーという医術そして科学について、これまで明確かつ説得力のある説明を十分に受ける機会に恵まれなかった読者諸氏には陳謝したい。ホメオパシーのシステムに関する以下の概説から、懐疑論者も、また柔軟な心をもちながらもこれまで情報が不足していた人も、何か得るものがあることを願っている。
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症状の知恵――現代生理学とホメオパシーの根底にある原理
病気の治療において類似の原則を活用しようという発想のルーツは、実は古代までさかのぼる(Coulter, 1975)。紀元前四世紀にヒポクラテスは、「病気は類によって生み出され、類の応用によって癒される」と言ったとされている。かの有名なギリシアのデルフィの神託は、「病気にするものこそが、病気を癒してくれるだろう」と、類似の原則の価値を称えている。一六世紀の有名な医者であり錬金術師でもあるパラケルスス(パラソーサス)は、実践において類似の原則を幅広く取り入れ、文献でもそのことに触れている。彼が唱えた「特徴説」には、治療において類似性を活用することの価値について直接言及している箇所がある。彼は、「同じ構造を有する薬草と病気を、同一の秩序のなかに組み入れよ。この比喩が理解できれば、治癒の方法も理解できるであろう」と述べている。
ある物質が引き起こす症状に似た症状を治療するために同じ物質を使うという手法は、従来の医療にも見られ、ワクチン接種がその最もわかりやすい例――多量に摂取した場合に生じる病状を防ぐために「弱体化した」病原体を少量使う――である。ほかならぬ免疫学の創始者であるエミール・ベーリング博士(1905)は「ハーネマンが造ったホメオパシーという言葉ほど、この作用を的確に言い表した言葉があるだろうか」と、ワクチン接種の起源を直接指摘している。(3) 同様に、現代のアレルギー治療においても、抗体反応を引き起こすためにアレルゲンを少量使うというホメオパシー的なアプローチが用いられている。
癌患者の治療に放射線を使ったり(放射線は癌を引き起こす)、心臓病にジギタリス[訳注:ヨーロッパ原産のゴマノハグサ科の多年草から作られる強心剤]を使ったり(ジギタリスは心臓病を引き起こす)、多動児の子どもにリタリンを使ったりするのも(リタリンは、多動を引き起こすアンフェタミンに似た薬である)、従来型医学にホメオパシーの類似の原則が取り入れられている例である。その他にも、心臓病に使われるニトログリセリン、関節炎に使われる金塩(ゴールドソルト)、痛風に使われるコルヒチンなどの例がある。(4)
もっとも、ここに挙げたような従来型医療にホメオパシーに似た要素があるとはいっても、それ以外のホメオパシーの基本原則にはのっとっていないことを認識しておく必要がある。ワクチン接種やアレルギー治療は、特定の病気の予防や治療のために行われるのに対し、ホメオパシー薬は、個々の患者に起きている身体・精神症状の全般的な症候群に基づいて処方される物質であり、よってホメオパシー薬は、ただ個別の疾患を予防したり治療したりするのでなく、肉体から精神まで含むその人の全般的な健康を増進するものと考えられている。また、ホメオパシーでは高度な選択性をもって一人ひとりに合わせて処方するのが一般的であるが、従来型医療ではそのような手法は採られず、摂取量からいっても、ホメオパシーのように微量でもなければ安全でもない。
ところで摂取量というテーマは極めて重要である。ホメオパスたちは、人体には、最初はなかなかとらえづらいが驚異的なパワーが秘められていることを明らかにしてきた――すなわち病人は、自分に起きている症状に似た症状を引き起こす物質に対して過敏に反応する。さらに、この物質をごく微量投与することで、毒による負担を受けることなく、免疫効果や治療効果を得ることができるのである。
ハーネマンは、ホメオパシーを従来型の治療と区別するために、「アロパシー」や「アロパシー薬」という言葉を造った。ホメオパシー的処方は類似の原則を基礎としているのに対し、アロパシー治療のほとんどは、基本的に「逆」のものを使う(例えば、便秘の人にはお腹を緩くする薬を使い、下痢の人には便秘にさせる薬を使う)。(5) ハーネマンは、類似の原則に基づかない治療は人を治癒には導かず、基本的に症状を抑圧して一時的に楽にするだけで、かえって病気をより深層部に押し込んでしまうと主張した。
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病気ではなく症候群を治療の対象とする
概して欧米の医師は個別の病状の原因を突き止めようとする傾向が強く、また患者の側もそのような判定を欲しがる。従来の医学的診断では、依然として、大半の病気は体の特定の部位に局在することを前提に考える傾向が強い。心臓病は心臓の問題、頭痛は頭の問題、耳の感染症は耳の問題、といった具合である。
確かに現代の医師のあいだでも、それぞれの病気に関して、より複雑な病理状態を把握しようとする風潮が強まってはきているとはいえ、治療の大半は、個別の症状や、局所的な病状や、単一の生理的プロセスを対象とする傾向が強いのが現状である。それとは対照的にホメオパスは、いかなる病気であっても、局所的なものであるとか、単独の身体的プロセスに限定されているというふうには考えない。あらゆる病気は症候群であり、局所の症状は、その人の病気の一部を表象しているにすぎないと考える。
ホメオパスが、複雑な症候群を理解したうえで治療することの大切さがわかっていることを念頭に置くと、一種類の薬で同じ病気の患者を誰でも治すことなどまず不可能だと彼らが主張する理由がわかるだろう。したがって、あれこれの病気にどんな治療を行うのかとホメオパスに尋ねたとしても、単刀直入な回答が得られることは、普通はない。むしろ、治療は患者の全般的な症候群に合わせて行うので、一人ひとり異なるという点が強調されるであろう。もっとも、話をわかりやすくするために、ある特定の病状を含む症候群がある人に、一般的に考えられる薬の名を挙げる場合はあるかもしれない。
およそ二〇〇年の歳月をかけて、何千種類もの物質について、健康体の人に与えた場合に引き起こされる身体・感情・精神面の特異な症状が、全世界の何十万人ものホメオパスによって入念に書き留められ、整理されてきた(そして現在では電子化されている)。今日われわれがアクセスできる膨大な毒物学的情報は、このようにして蓄積されてきた。ただしこれらの情報に関して重点が置かれているのは、各物質が引き起こす症状であり、どれくらいの摂取量でその症状が現れるのかという点ではない。物質がどのような症状を引き起こすにせよ、特別に調製したホメオパシー的用量で与えれば治癒作用が生じ得ることが、ホメオパスたちによって発見・検証されているからである。
これまでに何千もの物質に関して毒物学的研究が行われ、このような実験のことを「プルービング」と呼ぶ。実験は、植物界、鉱物界、動物界、化学物質などに属する種々の物質が過剰摂取された場合に生じる症状群を判定するもので、動物ではなく、人体に対して行われる。ホメオパスは実験を通じて、それぞれの物質が過剰摂取された場合に引き起こされる症状や症候群を学ぶための土台を築き、それによって、各物質が人体にどのような親和性をもっているかを探究してきた。これが最も複雑かつ厳密な意味での薬である。
ホメオパスは患者を診る際に、各患者の健康に関する経歴を独特な方法で詳細に調べ、それから、患者が示す症候群に類似する症候群を引き起こすと考えられる物質を、植物、鉱物、動物、化学物質などから見つけ出す。現在では、患者にとって薬効のある物質を絞り込むのに、プロ向けの高機能のソフトウェアを使うことが、ホメオパスのあいだで世界的に一般化している。
物質の毒性と患者の個別の症状のパターンがマッチすると、ホメオパスはこの薬効物質を超微量で特別に調製したものを患者に与える。
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ホメオパシー薬――ナノドースの強力な効果
ホメオパシー薬は、病人の治療において、通常とはまったく異なる薬理学的アプローチを採っている。ホメオパスは、似たような病気をもつ大勢の患者に幅広く効く強力な薬剤を多量に用いるのではなく、病気の肉体的・精神的症候群に合わせて高度に個別化された薬効物質をごく微量用いる。ホメオパシー薬は、その摂取量があまりに微量なため、新たに確立されたナノ薬理学の一分野と位置づけるのが適当である(「nano」という接頭語は「小人」という意味のラテン語に由来する。現在この接頭語は「ナノテクノロジー」や「ナノサイエンス」などの言葉にも使われるように、一ユニットあたり最小で一メートルの一〇億分の一、すなわち一〇のマイナス九乗(10-9)という、極めて微小なテクノロジーやプロセスの利用法を模索するものである。もっとも、ここで言う「ナノ薬理学」や「超微量投与(ナノドース)」という言葉は、現代的用法の派生であり、「非常に微量だが非常に強力」ということを示唆している)。ホメオパシーにおけるナノ薬理学の本質と、それがどの程度微量であるかを理解するには、ホメオパシー薬の製造過程を知っておくことが重要である。
・ホメオパシー薬はどのようにして作られるか
ほとんどのホメオパシー薬は、薬効のある物質を再蒸留水で希釈して作る。ここで特筆しておく必要があるが、水の性質を研究している物理学者のあいだでは、水には数々の驚くべき不思議な性質があることが広く認められている。ホメオパシー薬の製造業者は、非常に純度の高い再蒸留水を使うことで、薬効物質を水に浸透させて水の構造を変化させることができる(Roy et al., 2005)。化学者や物理学者による数多くの研究を通じて、ホメオパシーの水は、単に再蒸留しただけの水とは異なるようだということがわかってきた(Chaplin, 2007; Elia1999; Elia et al., 2004)。
最も一般的な方法としては、各物質を、現物質一に対し、九または九九の分量の再蒸留水で希釈する。次に、この混合体を勢いよく振る。この過程を震盪と呼ぶ。再び、この溶液を一対九または一対九九の比率で再蒸留水で希釈し、勢いよく振る。この希釈および震盪の過程を、立て続けに三回、六回、一二回、三〇回、二〇〇回、一〇〇〇回、場合によっては一〇〇万回も繰り返す。希釈のみ行って、震盪する過程を省くと、薬効は活性化されない。一八〇〇年代初頭にホメオパシーが使われ始めて以来、ホメオパシー薬はガラスの瓶で作られてきた。ホメオパシーの創始者サミュエル・ハーネマンは、当時は先端を行く化学者の一人であり、同時代の化学者と同じく、ガラスは化学作用を起こさないことから薬に影響を与えないだろうと考えていた。ところが、ごく最近の研究から、ホメオパシー薬を作る過程におけるガラス瓶の特別な役割が異なる観点から見直されている(本章後出「ナノドースについて採り得る解釈」参照)。
物質のポテンタイゼーション(potentization)(希釈と震盪を繰り返すこと)の回数が多ければ多いほど、薬の力はより強力化し、効果も長くなり、必要な投与回数も概して少なくなることが、二〇〇年以上の経験を通じて明らかにされている。このような観察や経験から、ホメオパスは、二〇〇回以上ポテンタイズした薬を「高ポーテンシー」、一二回以下しかポテンタイズしていない薬を「低ポーテンシー」と呼んでいる。
このような観点から、ホメオパスは、ホメオパシー薬は単に摂取量が超微量というだけの薬ではないと主張する。むしろ、再蒸留水に変化が生じ、情報が刻み込まれて活性化した水になっているという。例えば、何も入っていないCDと、一〇〇〇冊分の本や一〇〇〇曲分の歌のデータが入っているCDとでは、化学的に比較しても、同じ組成であることがわかるだろう。片方のCDにはコード化された情報が刻み込まれているが、化学的には識別不能である。それと同様に、水は薬の情報がコード化された媒体であり、その構造が変化しているものの、ホメオパシー薬が作られた水を普通に化学分析しただけでは、明白な違いは見つからないのである(Roy et al., 2005)。
薬を摂取する人にその薬に対する過敏性がなければ、何の効果も生じないということを、ホメオパスは潔く認めるだろう。人は、その物質が引き起こすであろうとされる症状や症候群が出ている場合に限り、過敏に反応するのである。
確かに、このようなナノ薬理学的な摂取量が何らかの効果を及ぼす可能性があるとは、にわかには信じ難いだろう。にもかかわらず、ホメオパスやその患者たちが一八〇〇年代から主張し続けてきたこと」が、非常に評価の高い基礎科学研究や臨床研究によって確認されつつある。
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ホメオパシー薬はどのようにして作られるか
ホメオパシー薬は、病人の治療において、通常とはまったく異なる薬理学的アプローチを採っている。ホメオパスは、似たような病気をもつ大勢の患者に幅広く効く強力な薬剤を多量に用いるのではなく、病気の肉体的・精神的症候群に合わせて高度に個別化された薬効物質をごく微量用いる。ホメオパシー薬は、その摂取量があまりに微量なため、新たに確立されたナノ薬理学の一分野と位置づけるのが適当である(「nano」という接頭語は「小人」という意味のラテン語に由来する。現在この接頭語は「ナノテクノロジー」や「ナノサイエンス」などの言葉にも使われるように、一ユニットあたり最小で一メートルの一〇億分の一、すなわち一〇のマイナス九乗(10-9)という、極めて微小なテクノロジーやプロセスの利用法を模索するものである。もっとも、ここで言う「ナノ薬理学」や「超微量投与(ナノドース)」という言葉は、現代的用法の派生であり、「非常に微量だが非常に強力」ということを示唆している)。ホメオパシーにおけるナノ薬理学の本質と、それがどの程度微量であるかを理解するには、ホメオパシー薬の製造過程を知っておくことが重要である。
・ホメオパシー薬はどのようにして作られるか
ほとんどのホメオパシー薬は、薬効のある物質を再蒸留水で希釈して作る。ここで特筆しておく必要があるが、水の性質を研究している物理学者のあいだでは、水には数々の驚くべき不思議な性質があることが広く認められている。ホメオパシー薬の製造業者は、非常に純度の高い再蒸留水を使うことで、薬効物質を水に浸透させて水の構造を変化させることができる(Roy et al., 2005)。化学者や物理学者による数多くの研究を通じて、ホメオパシーの水は、単に再蒸留しただけの水とは異なるようだということがわかってきた(Chaplin, 2007; Elia1999; Elia et al., 2004)。
最も一般的な方法としては、各物質を、現物質一に対し、九または九九の分量の再蒸留水で希釈する。次に、この混合体を勢いよく振る。この過程を震盪と呼ぶ。再び、この溶液を一対九または一対九九の比率で再蒸留水で希釈し、勢いよく振る。この希釈および震盪の過程を、立て続けに三回、六回、一二回、三〇回、二〇〇回、一〇〇〇回、場合によっては一〇〇万回も繰り返す。希釈のみ行って、震盪する過程を省くと、薬効は活性化されない。一八〇〇年代初頭にホメオパシーが使われ始めて以来、ホメオパシー薬はガラスの瓶で作られてきた。ホメオパシーの創始者サミュエル・ハーネマンは、当時は先端を行く化学者の一人であり、同時代の化学者と同じく、ガラスは化学作用を起こさないことから薬に影響を与えないだろうと考えていた。ところが、ごく最近の研究から、ホメオパシー薬を作る過程におけるガラス瓶の特別な役割が異なる観点から見直されている(本章後出「ナノドースについて採り得る解釈」参照)。
物質のポテンタイゼーション(potentization)(希釈と震盪を繰り返すこと)の回数が多ければ多いほど、薬の力はより強力化し、効果も長くなり、必要な投与回数も概して少なくなることが、二〇〇年以上の経験を通じて明らかにされている。このような観察や経験から、ホメオパスは、二〇〇回以上ポテンタイズした薬を「高ポーテンシー」、一二回以下しかポテンタイズしていない薬を「低ポーテンシー」と呼んでいる。
このような観点から、ホメオパスは、ホメオパシー薬は単に摂取量が超微量というだけの薬ではないと主張する。むしろ、再蒸留水に変化が生じ、情報が刻み込まれて活性化した水になっているという。例えば、何も入っていないCDと、一〇〇〇冊分の本や一〇〇〇曲分の歌のデータが入っているCDとでは、化学的に比較しても、同じ組成であることがわかるだろう。片方のCDにはコード化された情報が刻み込まれているが、化学的には識別不能である。それと同様に、水は薬の情報がコード化された媒体であり、その構造が変化しているものの、ホメオパシー薬が作られた水を普通に化学分析しただけでは、明白な違いは見つからないのである(Roy et al., 2005)。
薬を摂取する人にその薬に対する過敏性がなければ、何の効果も生じないということを、ホメオパスは潔く認めるだろう。人は、その物質が引き起こすであろうとされる症状や症候群が出ている場合に限り、過敏に反応するのである。
確かに、このようなナノ薬理学的な摂取量が何らかの効果を及ぼす可能性があるとは、にわかには信じ難いだろう。にもかかわらず、ホメオパスやその患者たちが一八〇〇年代から主張し続けてきたこと」が、非常に評価の高い基礎科学研究や臨床研究によって確認されつつある。
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共鳴の法則とそのパワー
類似の原則は、音楽の物理的性質に照らして考えると理解できる。例えばピアノで(何の楽器でも構わないが)「ド」の音をたたくと、必ずすべてのドの音が反響するが、それ以外の音は一切影響を受けない。ある楽器がもう一つの楽器から比較的離れたところにあったとしても、「ド」の音を弾けば必ず「ド」の弦が反響する。ここで気づくべき重要なポイントは、共鳴が起きているときには、感覚が極めて過敏になるということである。
突き詰めて言うなら、ホメオパシーは共鳴に基づく治療システムである。薬の毒性と病人の複合的な症状とのあいだに類似性がある場合、特別に調製されたごく微量の薬を摂取することによって患者の治癒プロセスが強力に増進されることが、過去二〇〇年間の何十万人ものホメオパスの経験を通じて、一貫して明らかにされてきた。患者の症状に合わないホメオパシー薬を出した場合は何も起こらない。しかしぴったりマッチした場合には、患者の健康状態は全般的に著しい向上を見ることになる。
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ナノドースの力を裏付けるその他の根拠
生物学的作用物質を超低濃度で与えると強力な生化学作用を及ぼすということは、これまで数多くの科学的研究によって確認されている。βエンドルフィンと呼ばれる脳内化学物質は、10-18の希釈率(この物質が一対一〇の比率で一八回希釈されたという意味)で投与すると、ナチュラルキラー細胞の活性を調節することがわかっている。また、免疫系で重要な役割を果たすインターロイキンIは、10-19の希釈率で、T細胞クローンの増殖を活発化することが確認されている。さらに、フェロモン(さまざまな動物や昆虫が出す外分泌ホルモン)は、受容される単一分子が少なければ少ないほど、過敏な反応を引き起こす。(7)人体が特定の化学物質に対して過敏性を示すことは再三観察されているが、これに加え、人体が化学物質に対して二相性の反応パターンを示すことを明らかにした科学的根拠も、多数存在している。どういうことかといえば、ある物質をごく微量与えた場合、高濃度で与えた場合の効果とは異なる効果、ときには逆の効果を示すというのである。例えばアトロピン[ 訳注:主にナス科の植物に含まれるアルカロイド ]は、通常の摂取量では副交感神経を遮断して粘膜を乾燥させることが広く認められているが、摂取量が極めて微量な場合は、逆に粘膜の分泌を増加させる(Goodman and Gilman, 2001)。薬が、その濃度に応じて二面的な作用を及ぼし得るという事実はあまり知られていないが、これまでに幾度となく観察されてきたことである。
実際、生物学的因子を低濃度で与えると生理活性が促進され、中濃度で与えると弱まり、高濃度で与えると停止するという観察結果が、多くの医学辞典や科学辞典において「ホルメシス」あるいは「アルント・シュルツの法則」という用語で解説されている。
ホルメシスに関しては、過去の科学者によって何百もの研究が行われているが、いずれもホメオパシーについては言及すらされていない(Stebbing, 1982; Oberbaum and Cambar, 1994; Calabrase, 2005; Calabrase and Blain, 2005)。科学誌『サイエンス』は、「科学の世界において一度は疑問符を付けられた」ホルメシスが、「驚異的なカムバックを遂げつつある」とはっきり述べている(Kaiser, 2003, p.378)。
高ポーテンシーのホメオパシー薬の効果に疑問を抱いている懐疑論者であっても、低ポーテンシー薬の潜在的利益には異論を差し挟めないはずである。実際、欧米の薬局や健康食品店で客に対面販売されているホメオパシー薬の大部分は、原物質が微量に残存している低ポーテンシー薬である。高ポーテンシーのホメオパシー薬(通常は薬効を有する原物質を一分子たりとも含んでいない)は、基本的にプロのホメオパスによって処方される。ホメオパスは、強力にポテンタイズされ、患者が過敏に反応する薬を、個々の患者に合わせて選ぶノウハウをもっている。
昔、人類が新たなフロンティアを求めて西へと向かい、今日では宇宙というフロンティアで探査を進めているのと同じように、現代の科学者や医者は、ナノテクノロジーやナノ薬理学の探求を進めている。ナノドースの威力を探求し、その力を活用するうえで、ホメオパシー薬が格好のヒントを与えてくれることに科学者や医者が気づくのは、時間の問題である。
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ホメオパシーの臨床上の根拠
ホメオパシー薬の効果を裏付ける「研究は存在しない」と断言する医師やジャーナリストが現実に一部にいることは、理解に苦しむ。そのような発言は、ホメオパシーに関して誤った情報を流そうとする動きがあることの表れであり、科学的文献の単なる無知、でなければ、ホメオパシーに対する偏見に由来するものである。このような姿勢は、科学的医学についての議論の余地を奪うものであり、ホメオパシーが「実証されていない」と発言したり、示唆したりする人は、ただ正しい知識や情報を知らないだけなのである。
この項を読めば、ホメオパシーの科学的根拠を実感をもって受け止めてもらえるだろう。しかも新しい研究は日々行われている。以下に掲げた文献等を通じて、最新の研究の情報にアクセスすることもできる。
二重盲検法による適切な管理下で行われた近年の臨床試験を論じる前に、ホメオパシー薬についての比較的初期の研究について触れておかなくてはならないだろう。ホメオパシーは、一九世紀にさまざまな感染症が大流行した際、患者の治療に驚異的な成果を上げたことが主な契機となって、まずヨーロッパとアメリカで人気が高まった。コレラ、猩紅熱、チフス、黄熱病、肺炎などによる致死率の記録を見ると、ホメオパシー病院における致死率は、おおむね、通常の病院の二分の一から八分の一の低さであった(Bradford, 1900; Coulter, 1973)。ホメオパシー医がケアに従事していた精神療養所や刑務所でも、通常の医師が医療を行っていた施設に比べ、同様の成果が出ていたことが詳しい記録として残されている(Homeopathy in Public Institutions, 1893)(8) このような際立った結果が、蔓延する感染症の治療に一貫して出ているということが、プラシーボ効果によるものだとは考えにくい。
断っておくと、これまでに行われたプラシーボ比較二重盲検臨床試験のなかで最も早い時期に行われたいくつかの試験は、実はホメオパシー医が行ったものである。一九世紀と二〇世紀初頭に行われた研究についての詳細な歴史については、『The Trials of Homeopathy by Dr. Michael Emmans Dean(ディーン博士によるホメオパシーの実験)』を参照してほしい。(9) ホメオパシー史のわかりやすい概略、さらに現代ホメオパシー薬の臨床研究に関する包括的概説としては、著者の電子ブック『Homeopathic Family Medicine(ホメオパシーによる家庭の医学)』を参照してほしい。この他にも、ホメオパシー薬に関する現代基礎科学や臨床研究の情報源としては、サミュエリ研究所[ 訳注:アメリカの非営利の科学研究機関 ]がある(www.siib.org)。
ここで、近年に行われた、いくつかの質の高いプラシーボ比較二重盲検臨床試験の概要を紹介しよう。
一九九五年一〇月までに、医師や科学者で構成される独立のグループが、ホメオパシーの臨床研究の評価を行っている(Linde et at., 1997)。計一八六件の研究を再調査したところ、事前に設定したメタ解析の評価基準を満たしていたものは八九件あった。調査の結果、ホメオパシー薬を投与された患者のほうが、プラシーボを投与された患者に比べ、臨床上の有益な効果が見られた確率は、平均で二・四五倍高かった。(10)
どのような臨床研究についても、優秀な科学者であれば抱くべき最も重要な疑問は、その臨床研究が独立の立場の研究者によって再現されているか否かである。少なくとも三組の独立した研究者によって治療の有効性が検証されていれば、妥当かつ有効な研究とみなされる。
インフルエンザ様症状の治療におけるホメオパシー薬オスシロコチニューム(Oscillococcinum:オシロコッキヌム)二〇〇Cの利用に関して、これまでに三組の独立の研究者が臨床試験を行っている(Ferley et al., 1989; Casanova and Gerard, 1992; Papp et al., 1998)。各試験とも被験者数が比較的多く(順に、四八七名、三〇〇名、三七二名)、すべて複数の研究機関にまたがって、プラシーボ比較二重盲検法によって行われている(しかも、うち二件はランダム試験である)。そしてこれらの試験から、ホメオパシーによるインフルエンザ治療に著しい成果があることが統計的に明らかにされた。
またウィーン大学病院では、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の治療において、ホメオパシー薬に関して非常に重要な研究が実施されている。COPDとは、慢性気管支炎、肺気腫などを含む呼吸器疾患のグループの総称であり、アメリカでは死亡原因の第四位となっている。
この研究では、ケーライビック(Kali bichromicum/重クロム酸カリウム)三〇Cというホメオパシー薬が、喫煙歴のある重症のCOPD患者の粘性の分泌物にどのような影響を与えるかを評価するため、ランダム化二重盲検プラシーボ対照試験が行われている(Frass et al., 2005)。試験の対象となった五〇人の患者に、ケーライビック三〇Cの粒(グループ1)、またはプラシーボ(グループ2)のどちらかが与えられた。投与は一日二回、各一二時間おきに行われた。そして、試験開始から二日目における気管(喉)からの分泌物の量、集中治療室にいた時間の長さ、さらに、管を使って肺に詰まった粘液を除去できたかどうかが記録された。ホメオパシー薬を投与された患者は、気管分泌物の量が大幅に減少した(P= < 0.0001)。抜管も、ホメオパシー薬を投与された患者のほうが、かなり早く(P= < 0.0001)、入院期間も大幅に短かった(ホメオパシーの患者は平均四・二日、プラシーボの患者は平均七・四日)。
最も質の高い科学的研究として認められているもう一つの臨床研究は、グラスゴー大学とグラスゴー・ホメオパシー病院の研究者グループが行ったものである。さまざまな呼吸器系のアレルギー患者(花粉症、喘息、通年性アレルギー性鼻炎)を対象に、四種類の調査が行われた。治療を受けた患者は二五三人で、ホメオパシー薬を投与された患者は、視覚的アナログスコアで二八パーセントに改善が見られたのに対し、プラシーボを与えられた患者のうち改善が見られたのは三パーセントにとどまった(P= 0.0007)。(11)
花粉症の調査では、花粉症の原因となるさまざまな種類の花がホメオパシー的用量で処方された。それ以外の調査では、各患者が最も強くアレルギー反応を起こす物質を調べるために、通常のアレルギーテストを行った後で、そのアレルギー物質を三〇C(一〇〇のマイナス三〇乗の用量)で処方した(一番多く処方されたホメオパシー薬は、House dustmite〔ハウスダスト・ダニ〕三〇Cであった)。
研究者はこのタイプの処方を「ホメオパシー的免疫療法」と呼び、調査の結果、導き出された結論は、ホメオパシー薬は効いた、あるいは対照試験は効かなかったというものであった。
下痢の子どもを対象とした調査も三件行われており、専門家のあいだで論評対象とされる科学誌に掲載された(Jacobs et al., 2003)。三つの調査にかかわった二四二人の子どもをメタ解析した結果、ホメオパシー薬を処方された子どもは、プラシーボを投与された子どもに比べ、下痢の持続時間が大幅に短かったことがわかった(P= 0.008 この結果が単なる偶然ではない可能性が九九・二パーセントであることを示す)。毎年数百万人の小児が下痢による脱水症状が原因で命を落としていることから、WHOは小児の下痢が現代の公衆衛生上の最も深刻な問題であるとしている。小児下痢の標準的ケアの一環にホメオパシーが含まれていないことが医療ミスとみなされる日が、いつか来るかもしれない。
繊維筋痛の患者五三人の治療においてホメオパシー薬をテストした珍しい調査もある(Bell et al., 2004)。繊維筋痛は近年確認された症候群で、筋骨格系の諸症状、疲労、不眠などが見られる。個別に選択されたホメオパシー治療を受けた被験者は、同じようにホメオパシー方式の面談後にプラシーボを投与された患者と比べて、圧痛点の数や、痛みの度合い、クオリティー・オブ・ライフ、さらには全般的な健康状態にも大幅な改善が見られた。うつの傾向も減少している。ホメオパシーを投与された患者は、プラシーボを投与された患者に比べ、「治療が役に立った」という実感が際立って高かった(P= 0.004)。
もうひとつ、この調査の非常に興味深い点は、ホメオパシー治療を受けた人は、脳波の測定値にも変化が見られたことである。ホメオパシー薬を投与された被験者は、健康状態が改善しただけでなく、脳波の活動状態も変化したことになる。ホメオパシー薬が慢性病にこのような臨床上の実益や客観的な生理作用をもたらすということは、ナノドースには測定可能な効果を生む力があることを強力に裏付ける証拠である。
ホメオパシー薬には確かに治療上の有用性があることを裏付けるには、これまでに挙げた一連の根拠でも十分だと考えるが、ナノドースが顕著な生物活性を生じ得ることを示す証拠はこれだけにとどまらない。化学の教授(メデレイン・エニス博士)の主導で行われた重要な研究がある。この教授は、もともとホメオパシーに懐疑的な立場であったが、現在ではその著しい効果を認めている(Belon et al., 2004)。別々の大学と提携する四つの独立の研究所が、アボガドロ定数を超えるヒスタミンの溶液を使って、三六七四回に及ぶ実験を行った。アボガドロ定数を超えるということは、摂取されるなかに原物質の分子が残存していないことがほぼ確実であることを意味する(一〇〇分の一の希釈を一五?一九回繰り返す。すなわち、100-15から100-19の濃度ということになる)。研究者は、ヒスタミン溶液が好塩基球と呼ばれるタイプの白血球を抑制する効果があることを発見した。その効果は、全般的にかなり顕著なものであった( 0.0001)。実験に使われた溶液は研究所ごとに独自に用意され、被験者はテスト溶液の中身については知らされず、データ解析は、実験のどの段階にも関与していない生物学専門の統計学者によって行われている。(12)
さらに、世界で最も高い評価を受けている科学誌の一つ、『ニューサイエンティスト』のウェブサイトでは、物理学者、化学者、医師、生物学者など、著名な科学者によるホメオパシー関連の研究が定期的に報告されている。『ニューサイエンティスト』に掲載された研究レポートのすべてがホメオパシーに対して肯定的なわけではないが、現在までに寄せられたレポートの大半は肯定的なものである(詳細はwww. newscientist.com参照)。
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ナノドースについて可能な解釈
ホメオパシー薬がなぜ効くのかは厳密には依然として謎だが、自然界は謎だらけであり、超微量摂取の驚異的なパワーについての事例は自然界に多々ある。
例えば、ある種の苔が、同じ種の苔のフェロモンを、二マイル[ 訳注:約三・二キロメートル ]も離れた場所で嗅ぎ分けられることはよく知られている。あたかも生物が自己の種を繁殖させるための精巧で特有な受容体を発達させたかのように、生物が同じ種に属する生物が放出するフェロモンのみを感知できる(ホメオパシーの類似の原則のように)のは、単なる偶然ではない。同様に、サメは遠隔地の血液を感知できると言われ、膨大な海水の量を考えれば、サメが他の生物と同様、自己の生存を守るのに役立つものに対して極めて鋭い過敏性を有していることが明白である。
生命体が、実に驚くような過敏性をもっていることについては議論の余地がない。だが、難問として残るのは、いかにして薬が水にすりこまれ、なぜ希釈・震盪というホメオパシー的手順によって薬のパワーが強まるのか、ということである。われわれはこの疑問に対する厳密な答えを知らないが、方向性を示唆してくれるかもしれない新たな研究がいくつかある。
なぜホメオパシー薬が効くのかという疑問に対する非常に興味深い最新の説明は、現代の高度なテクノロジーから派生したものである。フランスとベルギーのいくつかの大学と病院に属する科学者チームは、水をガラスの瓶に入れて勢いよく振ることで、ごく微量のシリカ[ 訳注:二酸化ケイ素 ]の破片が水中に混入することを突き止めた(Demangeat etal., 2004)。ことによっては、このシリカの破片の存在によって水に情報が保存され、最初に水中に投入された薬がその薬効を生じていることも考えられる。
さらに、震盪によって生じるミクロ単位やナノ単位の微小な気泡(マイクロバブル、ナノバブル)がはじけることで、高い温度と圧力をもつ微小環境(microenvironment)作り出されている可能性がある。化学者や物理学者が行ったいくつかの研究から、ホメオパシー薬が調合された水は、そこから放出される熱が増加していることが明らかにされている。希釈が繰り返されたことで薬の原物質が一分子たりとも残っていないと考えられる場合でさえ、その点は変わらなかった(Elia and Niccoli, 1999; Elia et al., 2004; Rey, 2003)。
また、ホメオパシー薬の製造過程で水を勢いよく振る行為によって、水中の圧力が変化し、高度一万フィート(約三〇〇〇メートル)にある水と同じような状態になることが、著名な科学者のグループによって確認されている(Roy et al., 2005)。この科学者たちは、再蒸留水を使って何度も希釈しては振るというホメオパシー薬の製法によって、水の構造がどう変化するのかを明らかにした。(13)
超微量の薬効物質が、なぜ、どのようにして効くのかを理解をするうえで、参考になるかもしれない例えが、現代の潜水艦で使われる無線通信の知識に見いだせる。普通の電波は水を透過しないため、潜水艦では周波数が極めて低い電波を使用しなくてはならない。潜水艦が使う電波は、水中を突き抜けるよう非常に低くなっており、なんと通常は一つの波長が数マイルもある。
人体の七〇?八〇パーセントが水であることを考えれば、薬の情報を身体や組織間液に伝達させる最良の方法は、ナノドースを用いることである。人が薬効を受け止めるには、周波数が極めて低い電波のように、摂取量を極めて低くする(そして活性化する)ことが必要なのかもしれない。
ただし、特定の薬効物質に対して過敏性を有していなければ、たとえナノ薬理学的な摂取量であっても、何ら効果がないことを理解しておくことが大切である。この過敏性は、薬と人とのあいだに何らかの共鳴が起きている場合に生じるものである。ホメオパシーは、過剰に摂取された場合に患者の症状に似た症状を引き起こす力を基礎として薬を選択するシステムであるから、ホメオパシーの類似の原則は、簡単に言えば、その人が過敏に反応する物質を見つけ出すための実際的な手順ということになる。
現代の生理学や病理学では、病気とは身体の故障でもなければ、身体が降参状態にあるわけでもなく、感染症と闘ったりストレスに適応したりしようとするからだの努力の表れこそが症状だととらえられていることを念頭に置けば、ホメオパシーの類似の原則はさらに納得できるだろう。
身体の奥深くに達することができ、症状を模倣できる能力ゆえに選択されるナノドースを用いることで、治癒プロセスが深部から発動する。ホメオパシー薬が選ばれるのは、単に似通った病気を引き起こす力のためだけでなく、何らかの限局性疾患を一部とする病気の類似の症状群を引き起こす力のためであることが強調されなくてはならない。人体が多種多様な身体症状や精神症状を起こす複雑な生命体であることを理解することで、ホメオパスはその生体的な複雑性を認め、それに効率的に対処する治療システムを用意しているのである。
厳密にホメオパシー薬がどのように治癒のプロセスを起こすのかを知っている者はいないが、ホメオパシー薬に強力な効き目があるという証言は、二〇〇年以上にわたって、何十万人もの臨床医と、何千万人もの患者から得られている。今後さらなる研究によって、ホメオパシーとナノ薬理学についての真の知識の宝庫がもたらされることを待ち望まずにはいられない。
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量子医学(Quantum Medicine)
量子物理学は、ニュートン物理学に対して反証を挙げるものではない。量子物理学は、ただ単に、極めて小さいシステムや、極めて大きいシステムについて、われわれの理解を広げてくれるものである。同様にホメオパシーも、従来の薬理学に反証を挙げるものではない。それどころか、薬効物質を超微量に摂取するとどうなるかということについて理解を広げてくれるものである。
ホメオパシー医学の創始者サミュエル・ハーネマンは、その生涯において、後世に大きな影響を与えることになるホメオパシーについての著作を五度にわたって加筆修正し、そのたびに考えを精緻なものにしていった。彼に続くホメオパスたちが、このナノ薬理学の体系をより高度なものへと進化させ続けている。適切なレメディー[ 訳注:物質を超微量の法則に基づいて高度に希釈した液体を染み込ませた小さな砂糖の粒 ]を選ぶ最良の方法は何か、また、ナノ薬理学的に見て、どの程度の摂取量が最も効果が高いのかについて、必ずしも常に見解が一致しているわけではない。しかしホメオパシーの医学体系は、ナノ薬理学を探求する臨床医や研究者が研究を進めるうえで拠って立つことのできる(そして拠って立つべき)確固たる基盤を提供しているのである。
●第二章
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ホメオパシーが嫌われ、中傷される理由
ホメオパシーの創始者であるサミュエル・ハーネマンの墓石には、ラテン語で「Aude sapere」と記されている。「賢く生きる勇気をもて、経験する勇気をもて」などと訳される。当時および現在の一般的な医師に対するハーネマンの挑戦は、ただホメオパシーを試して自分で判断させることに尽きていた。だが悲しいことに、ほとんどの医師は、この素朴な挑戦を重んじようとはしなかった。それどころか、大半の医師がホメオパシーに対して非科学的で偏見に満ちた態度を固持し続けた。すなわち、彼らはホメオパシーのことをろくに知りもせず、また決して試そうともせず、ただ毛嫌いしていたのである。
一九世紀には多くの医師がホメオパシーを試し、その治療効果は彼らを驚かせ、感銘すら与えた。当時猛威を振るった感染症の治療においても、そのことに変わりはなかった。この「新しい」薬の人気の高まりに呼応するように、ホメオパシーを教える医学校が創設され、医学の基礎やホメオパシー薬の処方法が教えられた。ボストン大学、ニューヨーク・ホメオパシー医科大学、フィラデルフィアのハーネマン医科大学、その他数校がアメリカに新設され、新しいタイプの医師の育成が進められた。
ホメオパスたちは、従来では考えられなかったような行動を見せた。歴史上初めて、いわゆる「通常」の医療のあり方を正面から批判する医者集団が現れ、次第にその勢いを増していった。さらにホメオパシー医は、主流派の医療には有益性よりも有害性のほうが多いことを強く訴えた。
それまでの医師たちは、ある種の紳士的な態度をお互いに保っていた。どんな時代にも医療行為をめぐる考え方の相違はあったが、ホメオパシーの台頭とホメオパシー医学校の発展を受けて、従来の医学に対して以前より本質的で強い調子の分析や論評が出回るようになった。ホメオパシー医学が、国内で特に評価の高かった一流文学者、高位の聖職者、多数の人権活動家、有力政治家、最富裕層などを惹きつけていたことが、アメリカでも次第に脅威と化していたのである。
一八〇〇年代初頭のドイツでホメオパシーが産声をあげて以来、ハーネマンとその仲間たちは、水銀、アンチモン、ヒ素、鉛などの毒物を多量に用いる一般医のやり方を痛烈に批判していた。また、当時の一般的な医師たちは、滞留した血液や、過剰と考えられる血液を除去するために、メスで患者の静脈を切開して血液を出す瀉血という処置を日常的に施していた。一八〇〇年代半ばまでは、蛭を使った療法すら一般的に行われていた。
(14)当時、瀉血を行わない医師は「インチキ医者」と呼ばれていたほどだった。
医師が他の医師を公然と批判しようものなら、それはとんでもなく屈辱的なことであったため、大勢のホメオパスが一般薬の危険性を声高に主張するようになったことで、ホメオパシーとホメオパスに対する一斉攻撃が始まったのだった。
医学史の第一人者が指摘するところによると、一般の医者たちは仲間がホメオパシー薬を処方したとしても、気を悪くしたり脅威に感じたりすることはなかったが、仲間が(ホメオパシー医が実際したように)従来の医療行為に反感を示すことには我慢ならず、そのことがホメオパスとの全面対決を招いたという(King, 1983)。
ハーネマンと仲間のホメオパスが批判の的にしたのは、危険な薬が処方されているという現実だけではなかった。彼らは複数の薬を処方することも非難していた。複数の薬を併用した場合の効果が調査されることはめったになかったことから、「多剤投与」(たくさんの薬を併用すること)の非科学性をホメオパスは強調していた。ハーネマンらは、数種の薬を混合することで、人体にどんな影響が及ぶか見当もつかない新たな薬が生み出されるという考えだった。それゆえホメオパスたちは、「科学的」と呼ばれる薬が実際どれほど科学的と言えるのかということに、強い疑念を抱いていた。
医師のあいだでのホメオパシーやホメオパスに対する反感もさることながら、薬剤師のあいだでは、それは一層すさまじかった。当時、医師が自分で薬を作ることは法律で認められておらず、医師が書いた処方せんをもとに地元の薬局が調合することとされていた。大半の医師が、一人の患者に四?八種類の薬を処方していた。その量は非常に多く、中毒量に達していることも珍しくなかった。
それにひきかえホメオパシー医は、通常は一人の患者に一種類の薬しか処方せず、しかも極微量の摂取を奨励した。当時、薬の代金は個別の薬の分量に基づいて課されていた。いうまでもなく、ホメオパシー薬ではたいしてもうけにならず、さらに悪いことに、ホメオパシー薬は製造に大変な手間を要したのだった。
このような切実な経済上の事情もあって、薬剤師たちはホメオパシーやホメオパシー薬をひどく嫌がっていた。それに呼応して、ホメオパスの側でも、薬剤師が処方せん通りにホメオパシー薬を作っているのかについて不信感を強めていった。事実、一般の薬剤師が作るホメオパシー薬の信憑性をめぐるホメオパスの疑念は積年の問題となっている。
一八八〇年代、詐欺行為がどの程度横行しているのかを調査するために、ドイツの数名のホメオパスが、実在しないホメオパシー薬の名前をでっちあげ、患者にその処方せんをあちこちの薬局で提示してもらうという実験を行った。
(15) 八九軒の薬局のうち、偽物の処方せんだからという理由で調合を断ったのはわずか一二軒で、調合できないといった薬局の多くは、もともとホメオパシー薬は一切取り扱っていないことを堂々と理由にした(Homeopathic Pharmacies, 1899)。偽物の処方だったことが薬局に知らされた後も、再度実験を行うと、依然として偽の処方薬が出されている実態が明らかとなった。
ホメオパシーやホメオパスが中傷を受けたもう一つの理由は、健康とは何か、病気とは何か、治癒のプロセスとはいかなるものかということに関して決定的に異なる前提のもと、ホメオパシーが異質の医学体系に立脚していたからである。従来の医師は、症状は体に何か悪いことが起きていることの表れで、症状は抑圧ないし抑制すべきものと信じ、そのために強力な治療を施していた。そして彼らは病気を分類し、外見的に似通った病状を示す患者を十把ひとからげに扱った。
対照的にホメオパスは、症状は悪者ではなく、感染やストレスから身を守るために体が内部で闘っていることの表れであり、それは生命体が健康を再構築するのに最も有効な方法だと考える傾向が強かった。人体に備わる深遠な知恵に対する敬意は、治療法にも反映され、多量に摂取した場合にその人の症状と似た症状を引き起こす力のある物質を、各患者に合わせて選び、薬としてごくわずかな量を用いた。ホメオパスは、症状は体の防御反応ととらえていたので、この知恵を模倣することは、彼らにしてみれば理にかなったことだった。そして、薬は患者がかかっている病気だけを基準に処方するのではなく、一人ひとりの患者の身体や精神に表れている全般的な症候群を踏まえて処方された。
患者に薬物が微量しか処方されないことも、ホメオパシーが反感を買い、中傷された一因だった。一九世紀の産業革命の初期には、強力な薬を多量に使うことを「進歩」ととらえる風潮が社会全体に色濃かった。ホメオパシーを疑う人たちは、ホメオパシー薬は「弱腰」のニセ薬にすぎないと主張した。当時の(そして現代に至ってもなお)一般医の大多数は、ホメオパシー薬に効果があるなどとは、ましてや病気を治せるなどとは、信じようとしなかった。
目新しい製造ラインがもてはやされた産業革命の時期にあっては、同一の病気の人は同一の投薬で治療しようとする従来の医療の方向性も受け入れられやすかった。従来の医療は、たとえ同じ病気をもつ患者のあいだに症状や要因の著しい差異があったとしても、個別の特徴に適応できるだけの術をもっていなかった。それでもなお、従来型医療は当時の人々に先進的な感覚や、何らかの治療効果が得られそうな感覚を与えていたのである。
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一九世紀アメリカにおけるホメオパスヘの攻撃
一八二五年にアメリカに初めてホメオパシーを紹介したのは、デンマークの医師ハンス・グラムである。その後、ホメオパシーはまたたく間に広がり、一八四四年には、アメリカ初の全国規模の医学協会である米国ホメオパシー協会(American Institute of Homeopathy)が設立された。これに対抗するかたちで、その二年後に米国医師会(American Medical Association:AMA)がホメオパスの台頭阻止を一つの目的に設立されている。
医療の歴史上、危険な医療行為や倫理違反を理由に医師が叱責を受けることなどまずありえなかった時代に、米国医師会は一八五五年、ある規則を倫理規定に盛り込むことを決めた。それは、ホメオパシー医や、その他「非正規の」ホメオパシー療法家の受診を禁じるというものだった。「診察条項」と呼ばれたその規定は、米国医師会の会員がホメオパスの患者を治療することまで禁じた。(16) さらに、いくつかの医学校ではホメオパシー薬を使って診療を行った卒業生の学位が無効とされたり、ホメオパスと交流をもっただけで在学生が停学にされたり、ホメオパスのもとに見習いに行った学生が講義の出席停止処分を受けたりした(Warner, 1999)。ホメオパシーとホメオパスに対する敵意が巻き起こした騒動は、科学的というよりはむしろ宗教的なものだった。米国医師会の元会長は「彼(会員の医師)を悪から守ってくれるものは、聖書と神の恩寵に次いで、この診察条項だろう」と述べている(Warner, 1999, 55)。
驚いたことに、数ある倫理規定のなかで米国医師会が現実に履行したのは、この診察条項とその他のいくつかの規定だけだった(Coulter, 1975, 208)。米国医師会のある会員は、ホメオパスに相談をもちかけたことを理由に地元医師会から追放されている。しかもそのホメオパスは彼自身の妻であった。ニューヨークのある医師は、ホメオパシー診療を行ったことがとがめられ(彼は自分の非を認めた)、有罪判決を受けたが、罰金は一セントにも満たなかった。この医師とその動機に深く共感した裁判の陪審員たちは、受け取った陪審員報酬を地元のホメオパシー協会に寄付している(Rothstein, 1972, 169)。一八五〇年代や一八六〇年代には、米国医師会から追放されることは医師にとって深刻な問題だった。地元医師会の会員資格の喪失は、医業を営む権利が奪われることを意味し、さらには、懲戒処分を受けた医師を受診した医師や、そのような医師に自分の患者を紹介した医師までもが、地元の医師会から締め出されるということを意味したからである。
(17)
一八六七年、米国医師会は、ホメオパスや妊娠中絶を行う医師に相談した場合は倫理委員会にその旨を届け出ることを全会員に義務づけた。実際この直後、由緒あるニューヨーク医学会の創立者の一人であるA・K・ガードナー医師がホメオパスの診察を受けたことを理由に業務停止を命じられている。医療系ジャーナリズムがこの処分を支持した一方で、ニューヨーク・タイムズ紙やニューヨーク・トリビューン紙は厳しく批判した(Coulter,1975, 314)。
また一八六八年に米国医師会は、「正規」の医学部を卒業していない医師の診察を受けることは倫理違反とする通達を出した。だが、ホメオパシー医の多くは「正規」の大学の医学部出身者だったので、米国医師会のこの措置は、事態を明確化するどころか、混乱を生じさせただけだった。
ところが、一八八一年にニューヨーク医師会の委員会で同医師会の診療条項の改定が提言されると、このことが大変な事態に発展していく。一八八三年には、「正規」の医師が「ホメオパシー医」に相談することを認める条項が新たに採用されたのである。この内規改定によって米国医師会の規則とのあいだに矛盾が生じたことを受け、米国医師会は、こともあろうにニューヨーク医師会そのものを米国医師会から正式に追放してしまった。一八八四年には「ニューヨーク州医師会」という別の組織が設立され、この二つの医師会が競合する状態は一九〇六年まで続いた(Walsh, 1907, 207)。
ニューヨーク・タイムズ紙は社説で、「命を救うにはそのような診療しか手段がない場合、米国医師会は患者に死ねと言っているのと同じである。当医師会はホメオパシー専門家の力を借りようとする医師は一人たりとも会員として認めない構えである」と報じている(Coulter,1975, 314)。
ホメオパスとの相談を認めさせる運動の先頭に立った人物の一人がエイブラハム・ヤコビ医学博士(一八三〇?一九一九)だった。アメリカで初めて小児病院を開業した医師であるヤコビは、アメリカの小児科学の父と称されている。(18) ヤコビは米国医師会から裏切り者の烙印を押されたが、同医師会が一九〇三年に診療条項を撤廃した直後に、会長に選任されている(Warner, 1999)。
一方、極端な反ホメオパシー政策を掲げた新しい医師会のトップを務めたのは、心臓専門医で米国医師会の重鎮であったオースティン・フリント医学博士(一八一二?一八八六)である。彼は、医療関係者が気に入らなかったのはホメオパシー診療そのものというより、ホメオパスたちが従来の医療行為に対して公然と反対や非難の声を上げたことだったと述べている(King, 1983)。やがて明らかになるように、現代の医学史家たちは、その当時の医療は効果がなく危険なものであったことを認めている。ホメオパスの分析や批評は、実に的を射ていたことになる。
皮肉にもフリントは、「治療に際して確固たる基盤となるのは臨床経験だけである」と発言していたことで知られていたが、どうやら彼の言う「経験」とは、彼本人や従来型医療に従事する医者仲間の経験だけを指し、何千人ものホメオパシー医の臨床経験は除外していたようだ(Warner, 1999, 61)。
米国医師会がニューヨーク医師会を追放した傲慢ぶりからもうかがえわれるように、保守派の医師がホメオパシーやホメオパシー薬に脅威や嫌悪感を抱いていたことを物語る出来事は、他にも多々ある。だが詰まるところ、こうした動向が示しているのは、保守派の医師がどれほどホメオパシーを脅威に感じていたかということである。
ある主流派の医師は米国医師会の会合において次のように発言しているが、保守派の医師がホメオパシーやホメオパスを嫌った最大の理由も、この言葉によって言い尽くされていると言えるだろう――「われわれは原理原則をめぐってこのホメオパスと争ったのではないことを認めなくてはなるまい。われわれが彼と争ったのは、彼がこの共同体に入り込んで仕事を横取りしたからだ」(Kaufmann, 1871, 158)。これほどあっさりと認める医師も珍しいだろうが、診療の実態やそのあるべき姿をめぐる議論においては、実は経済的な問題が鍵を握っていたのだった。
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一九世紀ヨーロッパにおけるホメオパスへの攻撃
ヨーロッパにおいても、似たような経済上の要因が見え隠れしていた。フランスでは、ある医学生が単にホメオパシーへの興味を示しただけで、大学を退学になった。高名なフランス人医師J・P・テッシェは従来型医療に従事する医師だったが、彼は聖マルグリット病院の肺炎患者を対象にホメオパシー治療の効果を調べた。肺炎患者が選ばれたのは、肺炎が一般的かつ認知度の高い病気で、病状の診断や予後において曖昧な要素が少なかったためである。偏向を抑えるために、二人の医師の治療結果が評価の対象とされた。肺炎治療に関する当時の他の研究結果を参考に、テッシェは三三パーセント前後の死亡率を予想していた。ところがふたを開けてみると、この調査の死亡率は七・五パーセントという数字が出た(Dean, 2004, 118-120)。
ホメオパシーに有利な結果が出たことをテッシェが報告したところ、パリ・アカデミーで激しい反発が巻き起こった。一般の医学誌はこの研究結果を掲載しようとしなかったので、彼はそれをホメオパシー雑誌に送った。するとその行為が「罪」とされ、彼はフランスの医師会から即刻除名されてしまった。
同様の状況はイギリスでも見られた。イギリスに中央保健局という政府機関があり、一八五四年に国会議員のベンジャミン・ホール卿がそのトップに着任すると、彼はまず、その年に公衆衛生上の大問題となっていたコレラの蔓延に関する大規模な疫学調査を実施すべく、臨床医で構成される総合医学審議会を立ち上げた。審議会がまとめた報告書は、ロンドン市内の病院でコレラの治療を受けた入院患者および外来患者の五一・九パーセントが死亡したこと、そしてどの種の治療も効果を発揮していないようだということを伝えていた。
折しも、ゴールデン・スクエアにあったロンドン・ホメオパシー病院が一八四九年に慈善団体を創設し、一八五〇年に活動を開始したばかりだった。コレラが大流行した一八五四年には、ベッド数三〇床のその病院は、周辺地域の貧しい患者の治療に徹した。このホメオパシー病院も、他の病院と同様、コレラの治療記録を審議会に提出したが、ホメオパシーを使用したケースの統計は報告書には盛り込まれていなかった。ホメオパシー病院におけるコレラ患者の死亡率は、わずか一六・四パーセントだったのである。
この数字を除外した理由の説明をホールが求めると、審議会は次のように回答した。
ホメオパシー療法家の報告を公表してしまうと、一般に知られている療法の効果によるものとの推測を受け、彼らの平均治癒率の価値と有用性への信用を貶めることになるばかりか、真実の保全や科学の発達に逆行する類似のやぶ医者的行為に不当な認可を与えることになりかねない(Nichols, 1988, 145-146)。
簡単に言うと、ホメオパシー病院の統計値がリストに加えられなかったのは、コレラ治療にはホメオパシー薬のほうが優れていることを示唆することになるからということだ。
懐疑的な立場の人は、ホメオパシー病院の数字がどの程度確かなものであったのかを怪しむかもしれない。そこで、ロンドン地区担当の調査官がホメオパシー病院を訪問することを拒んだために、別の調査官が渋々その役目を引き受けたことを注記しておかなくてはならない。この調査官は一八五五年二月二二日、ホメオパシー病院に次のような手紙を送っている。
あなた方はお気づきであったと存じます。貴院を訪問したとき、わたしがホメオパシーというものに偏見をもっていたことを。そしてあなた方の施設では、わたしのなかに友ではなく敵を見いだし、またそれゆえ、訪問の初日、貴院の慈善基金に寄付するよう友人に助言しようというほどの心境になって帰途に就くには、何らかのしかるべき理由をそこで見いだしたのであろうということも。(Dean, 2004, 127)。
一八五八年には一般医のあいだで、ホメオパシー診療を非合法化しようとする動きが見られた。しかし熾烈なロビー運動にもかかわらず、この法律は成立には至らなかった。その理由の一つは、コレラの大流行時にホメオパシーの治療が有効だったという事実があったからだった。それでも英国医師会は、ホメオパシー診療を行うことや、患者の治療に際してホメオパスに助言を求めることを禁じる内規を設けた。さらに、医学生にホメオパスにならないと誓約させる文書に署名することまで要求し、署名を拒んだ学生は実際に落第になっている(Baumann, 1857)。
イギリスのホメオパスたちは比較臨床試験を行うよう主張し続けたが、その要求は決まって却下された。一八六〇年代にヴォーン・モーガン少佐が、ロンドンの病院にホメオパシー病棟を開設資金として、五〇〇〇ポンド(現在の一〇〇万ポンド、米ドルでは二億ドルに相当)の提供を申し出たが、ロンドン市内の全病院がこの申し出をはねつけた。どのようなかたちにせよ、ホメオパシーやホメオパスの関与を認めてしまうと、主流派の医師がその病院を出る事態になったり、その病院に患者を回すことができなくなる可能性があると真剣に危惧したのだった。
このような措置でもまだ不十分と見れば、一般医たちは、ホメオパスの治療を受けていた患者が死亡した際に、ホメオパスに殺人容疑までかけようとした。患者が死亡するケースはどんな医者にもあることだが、一般医たちは、ホメオパシー診療を阻害するためには、ありとあらゆる方策を講じたのだった。一般医の患者のほうが死亡することが多かったにもかかわらず、ホメオパスがこれらの医師を殺人罪で告訴することはなかった。
またこれ以外にも、ホメオパシー医が瀉血を行わなかったり、強力(かつ危険)な下剤を使用しなかったことで裁判ざたになることもあった。このように、効果もなく危険な医療行為を行っていた医師が、そうでない医師を訴えていたというのは皮肉な話だが、一九世紀にはこのような攻撃は珍しいことではなかった。しかし裁判所は、一貫してホメオパシー診療を行う医師側の権利を擁護した。
ドイツ北部では指折りのホメオパスであったカール・フリードリヒ・トリンクス医師(一八〇〇?一八六八)までもが一八二九年に訴訟の犠牲者となっていることにかんがみれば、どんなに高名なホメオパシー医であっても、攻撃対象にならない保証はなかったのである(Jutte, 1998, 79)。
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一九世紀のアジアにおけるホメオパスへの攻撃
アジアでホメオパスやホメオパシーに対してどのような攻撃がなされていたかを検証するのも興味深い。なぜなら、異常な状況は欧米だけに限ったものではなかったことを証明しているからだ。実際、ホメオパシーは世界中で、思想、医学、科学、経済上の脅威と化していたのである。
マヘンドラ・ラル・サルカール医学博士(Mahendra Lal Sarkar)(一八三三?一九〇四)のエピソードは、インドのホメオパスの体験の典型例である。医師であり科学者でもあったサルカールは、従来型の医学教育を受けた。当時は、何百万もの人がコレラで命を落としていたが、三二歳で亡くなったサルカールの母親もまたコレラの犠牲者だった。多くの人は、一般的なコレラ治療には効き目がなく、また治療には実益よりも害のほうが大きいと考えていた。
一八〇〇年代半ばになると、ロンドン宣教協会やその他のヨーロッパからの移住者が、インド人にホメオパシーを伝授するようになった。そして、ボンベイにあった総合陸軍病院の医師たちも、コレラ治療にホメオパシー薬を使うようになった。
同じくホメオパシー薬を試みたサルカールも、いくつかの症例で目を見張るような効果が得られた。そこで彼は、一八六七年に英国医師会ベンガル支部で「医学において想定される不確実性、ならびに病気と治癒物質の関係について」という題目の演説をすることにした(Singh, 2005)。ところが彼はこの講演を行ったことで、設立時に総裁まで務めたその団体から追放されてしまったのである。サルカールは、一夜にして「いかさま医者」に仕立て上げられた。『インディアン・メディカル・ガゼット』をはじめとする主流派の雑誌は、サルカールの名誉を汚すような批判記事を載せ、サルカールはこれらに反論したが、彼の抗議文を掲載した雑誌は一誌もなかった。
一八六八年、サルカールは従来型医療の正統性と対決すべく、「カトリック的理念」に基づく雑誌『カルカッタ・ジャーナル・オブ・メディシン』を創刊する。彼はあえてこの雑誌に「ホメオパシー」の名を冠さなかったが、「われわれの信念」と題された創刊号の論説で「治癒はさまざまな方法によってもたらされた」と述べている(Singh, 2005)。
サルカールはインド初の全国規模の科学協会であるインド科学振興協会の設立者でもある。この組織は今日も活動を続けていて、高い評価を受けている(http://www.iacs.res.in)。
ハーネマンや多くのヨーロッパのホメオパスは、同時代の従来型西洋医学を痛烈に批判したが、それに比べれば、サルカールの姿勢ははるかに外向的なものであった。彼は、どんな病気も治すことができる治療法など存在しないという考えだった。だがこのような姿勢にもかかわらず、彼はインドの一般医からの無視や攻撃にさらされたのである。
現代の歴史家は、一九世紀にはホメオパシーがコレラの有効な治療法の一つだったことを認めている(Bradford. 1900)。コレラ治療におけるホメオパシー薬の利用に関する詳細な事例については、一三章「聖職者、精神的指導者」を参照してほしい。
ホメオパシーやホメオパスの前に立ちはだかったすさまじい障害をものともせず、ホメオパシーという医学大系はいまやインドで隆盛を極めている。インドには現在、ホメオパシーを教える医学校が一〇〇校以上あり、ホメオパシー医は一〇万人以上もいる。
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オリヴァー・ウェンデル・ホームズと彼のホメオパシー批判
一九世紀で最も有名なアンチ・ホメオパシーの本は、オリヴァー・ウェンデル・ホームズ医学博士(一八〇九?一八九四)が著したものである。(20)ホームズは、医学校を卒業した六年後に『ホメオパシーとその同類の妄想(Homoeopathy and Its Kindred Delusions)』と題されたその著書を発表している。彼は医学校に入学する前の一八三〇年に、『古い装甲艦』という有名な詩を発表し、さらに一八三二年と一八三三年にも『朝食テーブルの独裁者』と題された二編の随筆(『The Atlantic Monthly』に掲載)によって、アメリカを代表する作家・学者として全米に名をはせた。
ホームズはハーバード医学大学校の教授に就任し、詩人・作家としても評価されたが、実はホメオパシーを非難する文章を書く以前の彼は医療現場での実務経験がほとんどなかった。ホメオパシーに関するホームズの随筆は注目を集め、ホメオパシーに対する痛烈な批判として、今日でもしばしば引き合に出される。だがホームズの著書は明白な間違いだらけで、書いた本人やホメオパシー反対論者にとっては実は非常に恥ずべき内容であったにもかかわらず、今日の著述家たちはそれが真実であるかのようにいまだに引用し続けている。
そもそもホームズが、当時のアメリカ医学の考え方や実践法を象徴する人物として、ベンジャミン・ラッシュ医学博士(一七四五?一八一三)の名を挙げていることに驚かされる。ラッシュはアメリカ独立宣言の署名者の一人で、「勇敢な医学(heroic medicine)」を提唱した中心人物でもあった。「勇敢な医学」とは、瀉血、(水銀を用いての)腸内の瀉下、(腐食剤である吐酒石を用いての)嘔吐、皮膚に水泡を起こさせる手法などを積極的に多用することを意味していた。
事実上すべての患者に瀉血を勧めていたラッシュは、瀉血を行わない医師はインチキな医者だとすら考えていた。あるときには「七四門艦」[ 訳注:七四門の砲を搭載した艦のこと。一九世紀はじめのヨーロッパでは海軍の主役だった ]を浮かべられるほどの血を抜いたと得意気に語っていた(Transactions, 1882)。
ラッシュは精神病の矯正治療の推奨者でもあった。米国精神医学会の紋章に彼の肖像画が描かれているのもそれが理由の一つである。ラッシュは、患者を縛りつけた板を勢いよく回して頭に血を集める治療法を好んで使っていた。彼は自分が経営する精神病院に息子を二七年も入院させた揚げ句、息子はその病院で亡くなっている。また彼は黒人であることを遺伝病と考え、「黒人病」と呼んでいた。
ホームズは、ラッシュの「勇敢な医学」を賛美しただけでなく、厚顔無恥にも、さまざまな蛇の毒を用いるホメオパシーを「野蛮」な医学と呼んでいた(Holmes, 1891, X)。(22)この発言は、特によく知られているホームズの(一八六〇年の記事の)言葉を考えれば、なおさら皮肉である――「現在使われているマテリア・メディカ(薬効書)がすべて海の底に沈められれば、人類にとってさぞかし良いことだと信じてやまない。魚にとっては迷惑な話だが。」(Holmes, 1891)
ホームズの最大の攻撃対象は、超微量投与というホメオパシー医学の手法だった。しかし、どうやらホームズはホメオパシーの本を一冊も読んだことがなかったか、あるいはホメオパスとまともな会話を交わしたことが一度もなかったようである。というのも彼が初歩的な計算ミスを犯しているからである。ホメオパシー薬を作るには、まず原物質一に対し九または九九の水に入れて希釈する(よって希釈率は、一対一〇あるいは一対一〇〇ということになる)。次に、そのガラス瓶を四〇回ほど勢いよく振る。そして再び、一対一〇あるいは一対一〇〇の割合で希釈する。三〇Xや三〇Cのホメオパシー薬を作るのに最終的に必要な水の量は試験管三〇杯分ということになる(ローマ数字Xは一〇倍、Cは一〇〇倍の希釈率を表す)。
だがホームズは、計算に混乱をきたしたのか、一つ前の希釈の一〇倍または一〇〇倍の水が必要になると勘違いしていた。例えば、九回目の希釈では一〇〇〇億ガロン、一七回目の希釈ではアドリア海一〇杯分の水が必要になると計算していた。このような勘違いは、ホメオパシー薬を扱う薬局に行くなり、ホメオパスとちょっと会話を交わすなりすれば、簡単に解消されていたはずだ。だが残念かつ奇妙なことに、ホームズや同時代の一般医たちは、ホメオパスなどを相手に話したことがないことにプライドを抱いていた。
さらに皮肉なことは、ホームズが一八四二年から一八九一年にかけて発表した作品を再版したおりも、ホメオパシーについての間違いだらけの記述を一語たりとも訂正していないことだ。
ホームズは著書のなかで、ホメオパシーが普及した最大の理由は、従来の医師が患者に薬を過剰に投与しすぎたことにあると説明している。だがのちに彼は、「薬漬けにされることを求めている」のは大衆自身だと書いている(Holmes, 1891, 186)。
また、ホームズは「科学的な研究」を引き合いに出すことで、ホメオパシー薬に効き目がないことを「立証」しようとした。その一つして、一八四二年に発表した随筆のなかで、パリで大学教授をしていたガブリール・アンドラル博士の研究を引用している。ホームズは、アンドラルのことを「非常に親切な心をもつ、……このうえなく清廉な人物」と評している。そしてアンドラルが一三〇?一四〇人の患者を対象に行ったホメオパシー薬の実験を紹介し、「何らかの影響を生じた薬は一つとしてなかった」とするアンドラルの言葉を引用している(Holmes, 1891, 80)。
ホームズらは、アンドラルの研究はホメオパシーが効かないことの厳然たる証拠だと主張したが、見過ごしてはならないのは、アンドラル自身がのちに、自分の研究に重大な瑕疵があったことを認めている点である。アンドラルはハーネマンの『マテリア・メディカ・プーラ』を参考にしたと言っていたが、この本はドイツ語で書かれており、アンドラルはドイツ語を読めないことをきちんと伝えていなかった。当時、フランス語に訳されていたハーネマンの本もあるにはあったが、アンドラルが処方した薬は仏訳された本に取り上げられた二二種類のホメオパシー薬には含まれていなかった。この研究に携わったアンドラルの助手でさえも、アンドラルがホメオパシー薬の選ぶ術を知らず、「自分の無知も致し方ないことだったと弁解していた」ことを認めている(Dean, 2004, 112)。
アンドラルがホメオパシーの知識をまったく持ち合わせていなかったことは、彼の処方の仕方や投与量を見直してみると一目瞭然である。彼はホメオパシー薬を処方する際に、患者の特有な症状や症候群をまったく踏まえていなかった。それどころか、独自の風変わりな基準で一症状を抜き出し、それに効きそうな薬を当てずっぽうに出していた。例えば彼は、生理痛の女性や結核の男性にもアーニカを出しているが、これらはどのホメオパシーの教科書にも基づかない、いい加減な処方だった。さらに七五パーセントの患者には一種類のレメディーが一粒投与されただけで、治療効果を高めるためのサポート・レメディーは一回も与えられていない(Irvine, 1844)。一粒投与して、即、治癒が見られなければ、ホメオパシーは駄目だと判断し、患者を一般の医療機関に回していたのである。
その後アンドラルは、自分が作成したホメオパシーの報告書を発表する正式な許可を誰かに与えた覚えはないと言い、しかも一八五二年までにはホメオパシーに対する見解を改め、ホメオパシーはすべての医者が検討するに値するものだとする立場をとるようになっていた(Dean, 2004, 112)。このような事実があるにもかかわらず、ホームズはホメオパシーについての文章を一語たりとも書き換えなかった。
一九世紀に書かれたホメオパシー批判のなかではホームズの本が最も優れていると考えられていたくらいであるから、この当時には真摯で高度な批評と思われていたものも、実際は論理的でも正確でもなかったことを公正に認めざるを得ないだろう。
ホームズは一八六一年になってようやく、ホメオパシーは「自然がもつ治癒力についてわれわれに教訓を与えてくれた。その治癒力は必要なもので、われわれの多くがそれをきちんと認識するに至った」と告白している(Holmes, 1891, x, xiii-xiv)。しかしそれでも彼は、ホメオパシーに関する以前の記述の訂正を出版社に指示することはなかった。
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現代のホメオパシー批判
一九世紀に巻き起こったホメオパシーやホメオパスへの攻撃が意味するところを十分に理解するのは難しく、現代ではこのような動向は起きるはずがないと多くの人が言うかもしれない。確かに、同じことは二度と起きないかもしれないが(願わくばそうあってほしい)、現在、ホメオパシーやホメオパスに向けられている反感が、陰湿さ冷酷さにおいて昔ほどひどくないとは断言できない。辛辣な言い方かもしれないが、以下に紹介するような事例は、現代のホメオパシーやホメオパスに対する攻撃の氷山の一角にすぎないのである。
二〇〇五年、世界保健機関(WHO)の担当者たちは、ホメオパシー医学に関する報告書の作成を進めていた。この報告書のチェックを依頼したなかにはホメオパシーへの懐疑派もいて、その人物の一人が、ホメオパシーに対して肯定的すぎる内容だとひどく不満を訴えた。そして彼は、報告書の内容を、他の反対論者や、おおむね評判の良かったイギリスの医学誌『ザ・ランセット』に漏洩してしまったのである。すると『ザ・ランセット』は、ホメオパシーに肯定的な、未完結で未発表のこの報告書を批判する内容の記事を掲載したのである(McCarty, 2005)。そのうえ、ホメオパシーと従来型医療を比較研究した記事を急きょ掲載したのだった(Shang他,2005)。
ホメオパシーと従来型医療の臨床研究を比較するという発想自体はもちろん良い。だが、実際にそれを公正かつ正確に行うのは、想像よりずっと大変なことである。しかし、この比較研究の主執筆者――アンチ・ホメオパシーの急先鋒として有名だったスイス人医師のエッガー博士――は、ホメオパシーを客観的に評価するのにふさわしい医師でも科学者でもなかった。彼は研究が終わりもしないうちから、自分の研究を提出する予定があることや、ホメオパシー薬は効かないという結果が十分に期待される旨を、『ザ・ランセット』の編集者に伝えていた。(23)
エッガー率いる研究チームは、ホメオパシー医学の効果を評価するにあたり、まずホメオパシー薬の効果を調べた一一〇件の過去のプラシーボ対照試験を探し出した。次に、それらと「対応する」一一〇件のプラシーボ対照試験を選び出した。「対応する」試験とは、通常、病気の種類や母集団の人数が近似していて、なおかつ治療期間も同程度の患者を対象に行われた実験を指すが、この研究者たちが一般薬の臨床試験を選別した理由も基準も説明されていない。想像に難くないが、対応試験を探し出すことは「言うは易し、行うは難し」である。この研究チームが本当に対応試験を見つけられたのかを疑うのは簡単だが、とりあえずそれが可能であったという好意的な前提のうえで話を進める。
次に研究チームは、各試験の調査設計の善しあしや、その手法を吟味した。その結果、質が高いと認められたホメオパシーの調査は二一件、一般薬の臨床試験は九件だけであった。(24) そして、十分な説明もないままに、質が高く患者数も十分と判断された調査だけを評価の対象とした。結局、このような特質に適合するものとして残ったのは、ホメオパシーの調査では八件、一般の臨床試験では六件だった。八件のホメオパシーの調査のうち、一人ひとりの患者に合わせてホメオパシー薬が選ばれていたのは二件のみで、それ以外の調査では、全員に同じ薬が使われていた(そのほうが調査は簡単だが、ホメオパシーの方法論としては必ずしも良いテストの仕方ではない)。
八件のホメオパシーの調査と六件の一般薬の臨床試験は、どう見ても対応関係になかった。これらの調査を比較可能と言うには、相当な奇抜な発想にでもよらない限り、到底説明がつかない。しかも研究チームは、質が高いと認められた二一件のホメオパシーの研究と九件の一般薬の臨床試験との比較分析結果は一切出していない。
もうひとつ興味深いのは、この研究者たちは、急性呼吸器感染症の治療における八件のホメオパシーの調査で「かなりの有益な効果」があったことを認め、その効果が「強力」であるとしている点だ。ところが彼らは十分な根拠も説明もしないまま、これらの調査は信憑性がなく、八件の試験では適切な分析を行うには不十分だと言っている。にもかかわらず、まったく同一の研究者たちが、別の八件のホメオパシーの臨床試験では評価を行い、六件の一般の臨床試験に比べると明白な治療効果は得られなかったという結論を出している。
これだけの懸念材料をもってしても、「ゴミのようなデータをいくら解析してもゴミのような結果しか出てこない」比較調査であることが読者に伝わらないのであれば、その他の気になる点も挙げておこう。例えば研究チームは、どの研究を選んだかを何カ月も明かそうとしなかった。そして、ようやくそれらが公表されても、一つの調査では体重減少の治療のために一種類のホメオパシー薬を選んでいたことが判明し(ほとんどめちゃくちゃである。なぜならホメオパスは、体重減少を促進するホメオパシー薬など一つもないと断言しているからだ)、もう一つの調査は、インフルエンザの予防におけるホメオパシーの利用を評価したものだった。(インフルエンザの治療におけるホメオパシー薬の効き目を証明した大がかりな研究は少なくとも三件あるが、そのなかから選ばれたのは一件だけで、その一方、予防効果を評価したある研究が選ばれていた。だがそれはホメオパスが良い結果を期待していない予備調査だった。)
マーク・トウェインがこのような格言を残している。「嘘には三つある。嘘、真っ赤な嘘、そして統計だ。」いわゆる「科学的」な研究を読んだり、理解したりしようとする際には、慎重さが求められる。引っかけるのは簡単なことである。従来型医学に対するホメオパシーの哲学上、科学上、経済上の挑戦を考えるなら、医療業界の連合体を保守しようとする側が、ホメオパシーを矮小化したり、否定したりするような数値を使って小細工するのに、どんな手を使ったとしても意外ではないからだ。
もうひとつ、ホメオパスへの攻撃という意味で有名な話は、ジョージ・ゲス医学博士(一九四七?)のケースである。ゲスはヴァージニア医科大学を一九七三年に卒業後、地域医療の研修医として南イリノイ大学に進学し、一九七六年に研修を終えている。彼は、全米ホメオパシー・センター(ホメオパシー教育課程の認定機関)の理事会のメンバーでもあった。そして一九九二年以降は、米国ホメオパシー協会の機関誌『アメリカン・ジャーナル・オブ・ホメオパシック・メディシン』の編集にも携わっている。米国ホメオパシー協会は、米国医師会より二年早く、一八八四年に設立された団体である。
ゲスがノースカロライナ州でホメオパシー診療を行っていた一九八五年、「許容できる医療行為の一般的基準に適合」していないとして、州の医療委員会が彼にホメオパシー診療をやめるよう命じた。委員会に苦情を申し立てていた患者など一人もいなく、またゲスは委員会からも有能で安全な医師だと認められていたにもかかわらず、医療行為の一般的基準に従っていないと判断されたのだった。
ゲスがこの委員会の決定に不服を申し立てると、州の上級裁判所は、医療委員会がゲスに対してとった措置は、「恣意的かつ不意打ち的」であり、根拠が薄弱だと裁定した。医療委員会側はノースカロライナ州の不服審査会に訴えたが、同審査会もやはりゲスの肩をもつ判断を下した。すると医療委員会は、この裁定を州の最高裁判所に持ち込んだ。最高裁判所は、医療委員会は体制に従っていないとみなした治療法をやめさせる広範な権限を有しており、慣例に従わない医療の安全性や効果はここでは無関係とする判断を下した。
ノースカロライナの住民はこの司法判断に憤慨し、それから数年のうちに、基本的に安全である限り、医師であれば主流でない治療法を実践してもよいとする法律が州議会で可決された。だが残念ながら、この法律が議会を通過する頃にはゲスはすでにヴァージニア州に移り住んでいて、その地でホメオパシー診療の基盤を築き、大いに繁盛させていた。これ以降、医師や医師以外の者が種々の自然療法や代替療法を行うことを認める「医療選択の自由」を定めた法律が、少なくとも全米の五つの州で制定されている。(25)
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科学と医学の進化
オーストリアで過ごした。だがプロテスタント思想を理由に宗教的迫害を受けた彼は、家族や友人とともにオーストリアの地を後にする。このことがオーストリア国王の耳に届くと、国王はケプラーのもとに使いを送って帰国するよう説得したが、ケプラーはこう言った。「わたしが帰国するなら、友人たちも一緒でなくては困ります。」なぜそんなに長く、辛抱強く、自分の考えが認められるのを待てるのかと訊かれたケプラーは答えた。「神は、みずからの創造物の調和を人類が理解するまで、長いあいだお待ちになっているのです。どうしてわたしが性急になる必要がありましょう。」
科学や医学の長い歴史を振り返ると、そこには常に変化への抵抗の跡がある。健全な科学的態度というものは客観性や謙虚さを内包しているはずであるから、真に健全な科学的態度が育まれれば、現在聞こえるような悪口や、他の選択肢を理解・模索することからの現実逃避的な拒絶反応はなくなるだろう。
かつてエイブラハム・リンカーンはこう言った。「わたしは民衆を固く信じている。真実を知らされている限り、彼らは頼れる存在だ。……肝心なことは、彼らに真実を伝えることだ。」人々をホメオパシーの真実から遠ざけておく方法の一つは、人々と情報のあいだの伝達ルートを断ち切ってしまうことだ。二つ目の方法は、一般医が、ホメオパシー医やその患者に相談することを認めないことだ。そしてもう一つの方法は、統計上の数字をもてあそんで、ホメオパシー薬に効果がないかのような印象を与えることだ。
しかし、SF作家H・G・ウェルズの言葉にもあるように、「国王や帝国は滅びるが、偉大な考えは一度生まれたら不滅」なのである。
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わたしには夢がある
わたしには夢がある。近い将来、世界がホメオパシー薬の超微量投与(ナノドース)の実用的価値に気づき、そのありがたみを深くかみしめる日が来るという夢が。わたしには夢がある。ワクチン接種やアレルギー治療に取り入れられてきたホメオパシーの類似の原則が、免疫能力を高める力ゆえに評価を受ける日が来るという夢が。
わたしには夢がある。心身の免疫・防御機能を高めることこそが医療の第一の目的とされる日が来るという夢が。
わたしには夢がある。「何よりも、害をなすなかれ」と説いたヒポクラテスの英知が、初期治療にホメオパシー薬を取り入れるというかたちで実現される日が来るという夢が。
わたしには夢がある。近い将来、医療の現場だけでなく、地球の健全化と持続可能性を実現するためのさまざまなテクノロジーに応用するために、多方面の科学者がナノドースの現象の重要性と潜在的可能性を探求する日が来るという夢が。わたしには夢がある。ホメオパシーに最も批判的な人でさえもが、本来まったく起きる必要のなかった敵対の歴史を繰り広げてきたことを謝罪する日が来るという夢が。わたしには夢がある。流行感染症の治療に効果を発揮してきたホメオパシーの歴史を参考にすることで、抗生物質の使用を減らし、感染症の治療により安全な手段が用いられる日が来るという夢が。
わたしには夢がある。すべての病気は症候群の一部であるということが理解され、より複合的なプロセスのなかで病気が理解される日が来るという夢が。わたしには夢がある。病気を抑圧することで身体の防御機能を損ない、生体のより深部に病気を押し込んでしまうという、従来の薬が招く真の問題点に人々が気づく日が来るという夢が。わたしには夢がある。ほとんどの疾病過程には複合的な要因があるという本質論を人々が理解し、因果関係を過度に単純化した説明でごまかされることがなくなる日が来るという夢が。わたしには夢がある。心身に備わる英知を人々が心から尊重し、症状はストレスや感染に対処するための人体の最大限の努力の表れであることを認識する日が来るという夢が。
健康と自由の鐘を打ち鳴らそう。クリニックや病院から。
健康と自由の鐘を打ち鳴らそう。薬局や健康食品店から。
健康と自由の鐘を打ち鳴らそう。医者、患者、保険会社から。
健康と自由の鐘を打ち鳴らそう。製薬会社、医薬品規制当局、保健政策の専門家から。
健康と自由の鐘を打ち鳴らそう。メディアやインターネットから。
今日、わたしには夢がある。この夢を共有してくれる人はいるだろうか。
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