
スイスの雑誌「mysteries」8月号にて
由井会長の震災後の活動、被災地での活動が
3ページにわたり紹介されました。
下記は記事の和訳です。
放射能汚染に対してホメオパシーで
由井寅子氏は画期的な新しい道を歩んでいる。日本の有名なホメオパシーの女性パイオニアは、福島の放射能汚染に対してホメオパシーの放射線レメディーを使い、被害者を治療している。
さらに、彼女は土壌もホメオパシーで放射能汚染を取り除こうとしている。
『人間と動物の自己治癒力を触発して治癒を導くのであれば、自然と地域も癒すことができるに違いない。』
ハンス・ペーター・ロート著
心を揺さぶる講演であった。
由井寅子氏の声に耳を傾けたときに、感動に震えた。
これよりふさわしい言葉はあり得なかっただろう。
穏やかであると同時にいきいきとこの女性ホメオパスは、彼女が3月11日とそれに続く時期に経験したことを物語った。そして彼女は、驚くほどの新しいアイディアを持っていた。
バーデンヴァイラーのコングレスセンターのホールでは、この58歳の日本女性が話している時に、ピンの落ちる音が聞こえるくらい静まり返っていた。
あの3月11日。
彼女がもはや決して忘れることのない日だった。
そして彼女とともに日本全体が―全世界が。
午後の真っただ中に東京の大地が揺れ始めた。
衝撃はすぐに激しくなった。あらゆるものがぐらぐらと揺れ、棚がひっくり返った。人々は、戸外へ飛び出した。もっと上の階では、事務室用家具の下で保護を求める人もいた。限りのない3分にも及ぶ間急激に地面が揺れて、おさまった。
日本人は地震に慣れている。大地は2、3週間毎にあちこちで揺れ動き、軽くピクンと動いている。
しかし、今回は違っていた。
『これはただならない。』
大波のようなガタガタした揺れによってほとんど船酔い状態になっている間に、由井寅子氏の頭はものすごい回転で働いた。
『今や私たちが助けるときです。』
停電はしていなかった。東京は、地震に対して安全に造られている。建物は持ちこたえる。
テレビではすでに地震の震源地が示されていた―首都の380キロ北東だった。
『とにかくあそこではひどいことになっているにちがいない!』
そのとき由井寅子氏はすでに百万都市仙台のライブ映像を見ていた。
津波だ。
巨大な、黒い、あらゆるものを飲み込む満ち潮の塊がすべての建物を運んでいった。しかもその上、いくつかの建物は燃えていた。
けれども、事態はいっそう由々しくなっていた。
福島である…

感情と勇気
由井寅子氏は、自らの心を開いて言葉を伝える女性である。それは、日本の人にとってあたりまえのことではない
バーデンヴァイラーでのコングレス 『ミディアム・ホメオパシー世界大会』(D)で日本における出来事について報告している間、彼女は何度も繰り返し泣き出さんばかりであった。けれども彼女のメッセージは、勇気を引き起こした。
『地震の後、寅子氏が指揮をとり、日本ホメオパシー医学協会のボランティアが地域レメディー他自然物質を届けに赴いた。また、現地にいる40人のJPHMA会員ボランティアが自らも大変な中、大災害の地域で活動しはじめた。』
由井寅子氏らJPHMAの災害救援隊員たちが被災地で目にしたものは、彼らの想像を絶していた。
しかし彼らは危機に備えて、準備をしていた。食料を携えていた。そしてとりわけ10万粒のホメオパシーの砂糖玉を携えていた。
すぐにPTSDのレメディーと放射線レメディーを無料で配った。彼らは、革新的なドイツのホメオパシーの創始者サミュエル・ハーネマン(1755-1843)の方法に則って希釈振盪した治癒情報を込めた砂糖玉を何キロも携えて行った。
JPHMAのボランティアたちは、ショックを受けた苦境にある住民に彼らが分け与えることのできるすべてのものを分け与えた。
由井寅子氏はこう説明する
『私たちは、ホメオパシー治療のためにこのケースでは2つのホメオパシーコンビネーションレメディ―を使いました。それらをPTSDレメディーおよび放射線レメディーと呼びましょう。』
PTSDレメディーは、希釈振盪した物質アーニカ、アコナイト、アーセニカムから構成されており、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療に適している。
放射線レメディーは、たとえばセシウム、ヨウ素、ウラン、プルトニウムのようなさまざまなホメオパシー的に希釈振盪された物質のコンビネーションである。
『ホメオパシーは、全体的な治癒法であり、同種の法則に基づいています』
由井寅子氏はこう続ける『Similia similibus curantur ―類によって類を癒す。言い換えて、簡略に表現すると、ホメオパシーのレメディーは、ある種の病気の症状を引き起こす物質をホメオパシー的な方法で希釈し、高度にポーテンタイズすることによってつくられている。』*
* ホメオパシーのレメディ作成および希釈振盪の詳細な方法を理解するために、由井寅子氏は、サミュエル・ハーネマンの医術のオルガノン第6版を研究することを勧めている。
未知の領域
大災害の数日後にすでに第一段JPHMAは、丈な二人の男性サポーターによって、物資とレメディーが車で運ばれた。
多数の人々が、部分的に託送によって毛布、暖かい衣類、食糧、上記のホメオパシーレメディ―を被害を受けた1000名以上の人々が受け取った。
『多くの被災者が回答したレメディーに対するアンケートの中間報告は、PTSDレメディーの摂取後に94%が自分たちの精神状態の明らかにそれと認められるほどの改善を認めたことを示しています。』
日本のホメオパシーの女性パイオニアは喜んだ。
『そして放射線レメディーの場合でさえ88%が明白な成果について語っています。』
そういうわけで由井寅子氏は、長年思案してきたことを実行に移す決心をした
『人間と動物の自己治癒力を触発して治癒を導くのであれば、自然と地域も癒すことができるに違いない。』
4月初めに由井寅子氏は自ら現地視察と励ますために、講演会を被災地に赴いて実行した。苦しみと破壊に接して見たものは、彼女を唖然とさせた。
『私は泣くことができなかった。私は茫然自失の体だった。』
彼女は日記にこう書いた。
『それは、戦争による荒廃のようでした。瓦礫の山。人々は天国に戻っています。』
次にこの女性ヒーラーは、まだ誰も日本で以前に一度もやってないことをやろうと着手した
『苦しみの振動から、そして放射能汚染から地域を癒す試みを。』
彼女は、水の溶かしたPTSDレメディーと放射線レメディーを大地に注ぎ、それを河川に流しこんだ。とくにさらに流れ下って直接福島の地を流れ海に注ぐ小川に。
『このすべてのことがどのような作用をもっているかは、明らかになることでしょう。』
生まれ変わりのような
由井寅子氏は、1953年生まれであるが、きわめて印象的な仕方でホメオパシーの効果を経験した。
1990年代のはじめに、彼女は生命にかかわるような大腸潰瘍にかかった。
力尽き、現代医学にもすでに見放されて、彼女は、英国であるホメオパスのところに赴いた。
『たった4粒の砂糖玉で私は完全に治ったのです!それは、まるで生まれ変わりのようでした。』
このおよそ16年前にまぎれもなく身をもって知ったことは、由井寅子氏の人生を完全に変えてしまった。この癒された女性は、英国でホメオパスになる専門教育を受け、続いて日本のホメオパシー協会(JPHMA, 日本ホメオパシー医学協会)を設立した。
この協会は、今日600人以上の日本人ホメオパスを育成している。そして、30,000人のホメオパシー支援会員がいる。
現在、日本では15万人がホメオパシーを使用している。
津波による大災害、原子力エネルギー、政治の話を、由井寅子は歯に衣着せぬ口調で答えてくれた。
『社会学者の有馬哲夫先生によると第二次世界大戦後、私達は占領国である米国に、当時、原子力発電所建設を押し付けられました。しかし広島と長崎の原爆の後、私達は原発を決して認めるべきではなかったのです。それでも日本人は簡単に米国を責められません。今54基もの原子炉が日本にあるのは、私達日本人自身の責任です。』
そして、津波の大災害と福島の想像を超えた原子力発電所の最大規模の事故は、変わるためのチャンスと見るべきかもしれない。
『日本にとって―そして残りの世界にとって、原子力から手を引くチャンスなのです。私たちは、今やこれまでのような日常に戻ることは許されません。今や私たちは、未来のエネルギー源:火、水、地。風に向かって先頭を進むことができます。』
この日本の先駆的な女性思索家が言っているのは、とくに太陽エネルギー、水力、地熱、風力である。
『将来いつかそれに加えて新しい、自然に近いフリーなエネルギー源が私たちにとって明らかになるでしょう。それについては、たいていの人間がこれまで一度も敢えて夢見たことがありませんでした。』
ミディアム・ホメオパシー世界大会
2011年5月8日のバーデンヴァイラーにおける『ミディアム・ホメオパシー世界大会』のコングレス(D)に際し、発起人のハラルド・クナウスとロジーナ・ゾンネンシュミットは、由井寅子氏を講演のために招待した。有名な日本の女性ホメオパスは、とくに日本の津波大災害、彼女の現地での経験、革新的な解決策の兆しについて語った。著者のハンス・ペーター・ロートは、バーデンヴァイラーにおいて個人的に由井寅子氏と話をする機会を得た。 (hpr)
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